を得る條を或る少年雜誌から拔き取つて、それを私が脚色した。拙者は山中鹿之助と申すものであるが、――といふ長い言葉を歌舞伎の七五調に直すのに苦心をした。「鳩の家」は私がなんべん繰り返して讀んでも必ず涙の出た長篇小説で、その中でも殊に哀れな所を二幕に仕上げたものであつた。「かつぽれ」は雀三郎一座がおしまひの幕の時、いつも樂屋總出でそれを踊つたものだから、私もそれを踊ることにしたのである。五六にち稽古して愈々その日、文庫藏《ぶんこぐら》のまへの廣い廊下を舞臺にして、小さい引幕などをこしらへた。晝のうちからそんな準備をしてゐたのだが、その引幕の針金に祖母が顎をひつかけて了つた。祖母は、此の針金でわたしを殺すつもりか、河原乞食の眞似糞はやめろ、と言つて私たちをののしつた。それでもその晩はやはり下男や女中たちを十人ほど集めてその芝居をやつてみせたが、祖母の言葉を考へると私の胸は重くふさがつた。私は山中鹿之助や「鳩の家」の男の子の役をつとめ、かつぽれも踊つたけれど少しも氣乘りがせずたまらなく淋しかつた。そののちも私はときどき「牛盜人」や「皿屋敷」や「俊徳丸」などの芝居をやつたが、祖母はその都度にがにがしげにしてゐた。
私は祖母を好いてはゐなかつたが、私の眠られない夜には祖母を有難く思ふことがあつた。私は小學三四年のころから不眠症にかかつて、夜の二時になつても三時になつても眠れないで、よく寢床のなかで泣いた。寢る前に砂糖をなめればいいとか、時計のかちかちを數へろとか、水で兩足を冷せとか、ねむのきの葉を枕のしたに敷いて寢るといいとか、さまざまの眠る工夫をうちの人たちから教へられたが、あまり效目がなかつたやうである。私は苦勞性であつて、いろんなことをほじくり返して氣にするものだから、尚のこと眠れなかつたのであらう。父の鼻眼鏡をこつそりいぢくつて、ぽきつとその硝子を割つてしまつたときには、幾夜もつづけて寢苦しい思ひをした。一軒置いて隣りの小間物屋では書物類もわづか賣つてゐて、ある日私は、そこで婦人雜誌の口繪などを見てゐたが、そのうちの一枚で黄色い人魚の水彩畫が欲しくてならず、盜まうと考へて靜かに雜誌から切り離してゐたら、そこの若主人に、治《をさ》こ、治《をさ》こ、と見とがめられ、その雜誌を音高く店の疊に投げつけて家まで飛んではしつて來たことがあつたけれど、さういふやりそこなひもまた私を
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