政治、経済、社会、そんな学問なんかより、ひとりの処女の微笑が尊いというファウスト博士の勇敢なる実証。
 学問とは、虚栄の別名である。人間が人間でなくなろうとする努力である。

 ゲエテにだって誓って言える。僕は、どんなにでも巧《うま》く書けます。一篇《いっぺん》の構成あやまたず、適度の滑稽《こっけい》、読者の眼のうらを焼く悲哀、若《も》しくは、粛然、所謂襟《いわゆるえり》を正さしめ、完璧《かんぺき》のお小説、朗々音読すれば、これすなわち、スクリンの説明か、はずかしくって、書けるかっていうんだ。どだいそんな、傑作意識が、ケチくさいというんだ。小説を読んで襟を正すなんて、狂人の所作《しょさ》である。そんなら、いっそ、羽織袴《はおりはかま》でせにゃなるまい。よい作品ほど、取り澄ましていないように見えるのだがなあ。僕は友人の心からたのしそうな笑顔を見たいばかりに、一篇の小説、わざとしくじって、下手くそに書いて、尻餅《しりもち》ついて頭かきかき逃げて行く。ああ、その時の、友人のうれしそうな顔ったら!
 文いたらず、人いたらぬ風情《ふぜい》、おもちゃのラッパを吹いてお聞かせ申し、ここに日本一の馬鹿
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