う事になって、寝込んだ事があったけれども、あれは、わがまま病だったという事を私は知っている。けれども、お母さまのこないだの御病気は、あれこそ本当に心配な、哀《かな》しい御病気だった。だのに、お母さまは、私の事ばかり心配していらっしゃる。
「あ」
 と私が言った。
「なに?」
 とこんどは、お母さまのほうでたずねる。
 顔を見合せ、何か、すっかりわかり合ったものを感じて、うふふと私が笑うと、お母さまも、にっこりお笑いになった。
 何か、たまらない恥ずかしい思いに襲われた時に、あの奇妙な、あ、という幽かな叫び声が出るものなのだ。私の胸に、いま出し抜けにふうっと、六年前の私の離婚の時の事が色あざやかに思い浮んで来て、たまらなくなり、思わず、あ、と言ってしまったのだが、お母さまの場合は、どうなのだろう。まさかお母さまに、私のような恥ずかしい過去があるわけは無し、いや、それとも、何か。
「お母さまも、さっき、何かお思い出しになったのでしょう? どんな事?」
「忘れたわ」
「私の事?」
「いいえ」
「直治の事?」
「そう」
 と言いかけて、首をかしげ、
「かも知れないわ」
 とおっしゃった。
 弟
前へ 次へ
全193ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
太宰 治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング