かな景色ねえ」
とお母さまは、もの憂そうにおっしゃった。
「空気のせいかしら。陽《ひ》の光が、まるで東京と違うじゃないの。光線が絹ごしされているみたい」
と私は、はしゃいで言った。
十畳間と六畳間と、それから支那式の応接間と、それからお玄関が三畳、お風呂場のところにも三畳がついていて、それから食堂とお勝手と、それからお二階に大きいベッドの附《つ》いた来客用の洋間が一間、それだけの間数《まかず》だけれども、私たち二人、いや、直治が帰って三人になっても、別に窮屈でないと思った。
叔父さまは、この部落でたった一軒だという宿屋へ、お食事を交渉に出かけ、やがてとどけられたお弁当を、お座敷にひろげて御持参のウイスキイをお飲みになり、この山荘の以前の持主でいらした河田子爵と支那で遊んだ頃の失敗談など語って、大陽気であったが、お母さまは、お弁当にもほんのちょっとお箸をおつけになっただけで、やがて、あたりが薄暗くなって来た頃、
「すこし、このまま寝かして」
と小さい声でおっしゃった。
私がお荷物の中からお蒲団を出して、寝かせてあげ、何だかひどく気がかりになって来たので、お荷物から体温計を捜し
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