、かッかッのほてり、からだをよじってこの手つき、そのようなヴィナスの息もとまるほどの裸身のはじらいが、指先に指紋も無く、掌《てのひら》に一本の手筋もない純白のこのきゃしゃな右手に依《よ》って、こちらの胸も苦しくなるくらいに哀れに表情せられているのが、わかる筈だ。けれども、これは、所謂、非実用のガラクタ。番頭、五十銭と値踏みせり。
その他、パリ近郊の大地図、直径一尺にちかきセルロイドの独楽《こま》、糸よりも細く字の書ける特製のペン先、いずれも掘出物のつもりで買った品物ばかりなのだが、番頭笑って、もうおいとま致します、と言う。待て、と制止して、結局また、本を山ほど番頭に背負わせて、金五円也を受け取る。僕の本棚《ほんだな》の本は、ほとんど廉価《れんか》の文庫本のみにして、しかも古本屋から仕入れしものなるに依って、質の値もおのずから、このように安いのである。
千円の借銭を解決せんとして、五円也。世の中に於《お》ける、僕の実力、おおよそかくの如し。笑いごとではない。
デカダン? しかし、こうでもしなけりゃ生きておれないんだよ。そんな事を言って、僕を非難する人よりは、死ね! と言ってくれる人のほうがありがたい。さっぱりする。けれども人は、めったに、死ね! とは言わないものだ。ケチくさく、用心深い偽善者どもよ。
正義? 所謂階級闘争の本質は、そんなところにありはせぬ。人道? 冗談じゃない。僕は知っているよ。自分たちの幸福のために、相手を倒す事だ。殺す事だ。死ね! という宣告でなかったら、何だ。ごまかしちゃいけねえ。
しかし、僕たちの階級にも、ろくな奴がいない。白痴、幽霊、守銭奴《しゅせんど》、狂犬、ほら吹き、ゴザイマスル、雲の上から小便。
死ね! という言葉を与えるのさえ、もったいない。
戦争。日本の戦争は、ヤケクソだ。
ヤケクソに巻き込まれて死ぬのは、いや。いっそ、ひとりで死にたいわい。
人間は、嘘をつく時には、必ず、まじめな顔をしているものである。この頃の、指導者たちの、あの、まじめさ。ぷ!
人から尊敬されようと思わぬ[#「思わぬ」に傍点]人たちと遊びたい。
けれども、そんないい人たちは、僕と遊んでくれやしない。
僕が早熟を装って見せたら、人々は僕を、早熟だと噂《うわさ》した。僕が、なまけものの振りをして見せたら、人々は僕を、なまけものだと噂した。僕が小説を書けない振りをしたら、人々は僕を、書けないのだと噂した。僕が嘘つきの振りをしたら、人々は僕を、嘘つきだと噂した。僕が金持ちの振りをしたら、人々は僕を、金持ちだと噂した。僕が冷淡を装って見せたら、人々は僕を、冷淡なやつだと噂した。けれども、僕が本当に苦しくて、思わず呻《うめ》いた時、人々は僕を、苦しい振りを装っていると噂した。
どうも、くいちがう。
結局、自殺するよりほか仕様がないのじゃないか。
このように苦しんでも、ただ、自殺で終るだけなのだ、と思ったら、声を放って泣いてしまった。
春の朝、二三輪の花の咲きほころびた梅の枝に朝日が当って、その枝にハイデルベルヒの若い学生が、ほっそりと縊《くび》れて死んでいたという。
「ママ! 僕を叱《しか》って下さい!」
「どういう工合《ぐあ》いに?」
「弱虫! って」
「そう? 弱虫。……もう、いいでしょう?」
ママには無類のよさがある。ママを思うと、泣きたくなる。ママへおわびのためにも、死ぬんだ。
オユルシ下サイ。イマ、イチドダケ、オユルシ下サイ。
年々や
めしいのままに
鶴《つる》のひな
育ちゆくらし
あわれ、太るも (元旦《がんたん》試作)
モルヒネ アトロモール ナルコポン パントポン パビナアル パンオピン アトロピン
プライドとは何だ、プライドとは。
人間は、いや、男は、(おれはすぐれている)(おれにはいいところがあるんだ)などと思わずに[#「思わずに」に傍点]、生きて行く事が出来ぬものか。
人をきらい、人にきらわれる。
ちえくらべ。
厳粛=阿呆感《あほうかん》
とにかくね、生きているのだからね、インチキをやっているに違いないのさ。
或る借銭申込みの手紙。
「御返事を。
御返事を下さい。
そうして、それが必ず快報[#「必ず快報」に傍点]であるように。
僕はさまざまの屈辱を思い設けて、ひとりで呻いています。
芝居をしているのではありません。絶対に[#「絶対に」に傍点]そうではありません。
お願いいたします。
僕は恥ずかしさのために死にそうです。
誇張ではないのです。
毎日毎日、御返事を待って、夜も昼もがたがたふるえているのです。
僕に、砂を噛《か》ませないで。
壁から忍び笑いの声が聞えて来て、深夜、床の中で輾転《てんてん
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