でも、もう四、五日は大丈夫だろうという事で、その日いったん皆さんが自動車で東京へ引き上げたのである。
皆さんをお送りして、お座敷へ行くと、お母さまが、私にだけ笑う親しげな笑いかたをなさって、
「忙しかったでしょう」
と、また、囁《ささや》くような小さいお声でおっしゃった。そのお顔は、活《い》き活《い》きとして、むしろ輝いているように見えた。叔父さまにお逢い出来てうれしかったのだろう、と私は思った。
「いいえ」
私もすこし浮き浮きした気分になって、にっこり笑った。
そうして、これが、お母さまとの最後のお話であった。
それから、三時間ばかりして、お母さまは亡くなったのだ。秋のしずかな黄昏《たそがれ》、看護婦さんに脈をとられて、直治と私と、たった二人の肉親に見守られて、日本で最後の貴婦人だった美しいお母さまが。
お死顔は、殆《ほと》んど、変らなかった。お父上の時は、さっと、お顔の色が変ったけれども、お母さまのお顔の色は、ちっとも変らずに、呼吸だけが絶えた。その呼吸の絶えたのも、いつと、はっきりわからぬ位であった。お顔のむくみも、前日あたりからとれていて、頬《ほお》が蝋《ろう》のようにすべすべして、薄い唇《くちびる》が幽かにゆがんで微笑《ほほえ》みを含んでいるようにも見えて、生きているお母さまより、なまめかしかった。私は、ピエタのマリヤに似ていると思った。
六
戦闘、開始。
いつまでも、悲しみに沈んでもおられなかった。私には、是非とも、戦いとらなければならぬものがあった。新しい倫理。いいえ、そう言っても偽善めく。恋。それだけだ。ローザが新しい経済学にたよらなければ生きておられなかったように、私はいま、恋一つにすがらなければ、生きて行けないのだ。イエスが、この世の宗教家、道徳家、学者、権威者の偽善をあばき、神の真の愛情というものを少しも躊躇《ちゅうちょ》するところなくありのままに人々に告げあらわさんがために、その十二|弟子《でし》をも諸方に派遣なさろうとするに当って、弟子たちに教え聞かせたお言葉は、私のこの場合にも全然、無関係でないように思われた。
「帯《おび》のなかに金銀《きんぎん》または銭《ぜに》を持《も》つな。旅《たび》の嚢《ふくろ》も、二枚《にまい》の下衣《したぎ》も、鞋《くつ》も、杖《つえ》も持《も》つな。視《み》よ、我《われ》なんじら
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