のお顔を見つめたまま、お泣きになった。けれども、泣き顔になっただけで、涙は出なかった。お人形のような感じだった。
「直治は、どこ?」
 と、しばらくしてお母さまは、私のほうを見ておっしゃった。
 私は二階へ行って、洋間のソファに寝そべって新刊の雑誌を読んでいる直治に、
「お母さまが、お呼びですよ」
 というと、
「わあ、また愁歎場《しゅうたんば》か。汝等《なんじら》は、よく我慢してあそこに頑張っておれるね。神経が太いんだね。薄情なんだね。我等は、何とも苦しくて、実《げ》に心《こころ》は熱《ねつ》すれども肉体《にくたい》よわく、とてもママの傍にいる気力は無い」
 などと言いながら上衣《うわぎ》を着て、私と一緒に二階から降りて来た。
 二人ならんでお母さまの枕もとに坐ると、お母さまは、急にお蒲団の下から手をお出しになって、そうして、黙って直治のほうを指差し、それから私を指差し、それから叔父さまのほうへお顔をお向けになって、両方の掌をひたとお合せになった。
 叔父さまは、大きくうなずいて、
「ああ、わかりましたよ。わかりましたよ」
 とおっしゃった。
 お母さまは、ご安心なさったように、眼を軽くつぶって、手をお蒲団の中へそっとおいれになった。
 私も泣き、直治もうつむいて嗚咽《おえつ》した。
 そこへ、三宅さまの老先生が、長岡からいらして、取り敢《あ》えず注射した。お母さまも、叔父さまに逢えて、もう、心残りが無いとお思いになったか、
「先生、早く、楽にして下さいな」
 とおっしゃった。
 老先生と叔父さまは、顔を見合せて、黙って、そうしてお二人の眼に涙がきらと光った。
 私は立って食堂へ行き、叔父さまのお好きなキツネうどんをこしらえて、先生と直治と叔母さまと四人分、支那間へ持って行き、それから叔父さまのお土産の丸ノ内ホテルのサンドウィッチを、お母さまにお見せして、お母さまの枕元に置くと、
「忙しいでしょう」
 とお母さまは、小声でおっしゃった。
 支那間で皆さんがしばらく雑談をして、叔父さま叔母さまは、どうしても今夜、東京へ帰らなければならぬ用事があるとかで、私に見舞いのお金包を手渡し、三宅さまも看護婦さんと一緒にお帰りになる事になり、附添いの看護婦さんに、いろいろ手当の仕方を言いつけ、とにかくまだ意識はしっかりしているし、心臓のほうもそんなにまいっていないから、注射だけ
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