學校職員ならびに校友會委員は、政府委員となり、ときどき議會をひらいて、校政を審議するといふやうな謂はば維新を斷行した。
 校長自身は、さしづめ一國の宰相とでもいふやうなところであつた。代議士選擧は、さかんであつた。學校の廊下には、べたべた推薦のビラが張られて、選擧事務所なども、ものものしく、或るものは校門の下に立つて、登校の生徒ひとりひとりに名刺を手交し、よろしくたのみます、といつて低くお辭儀をして、或るものは、中學校の先輩といふ義理のしがらみに依つて、後輩を威嚇し、饗應、金錢、などといふばかな噂さへ立つた。
 この議會制度は、のちに宰相を追放した。あのときは、たいへんな騷ぎであつた。校長が、生徒たちの醵金してためて置いた校友會費、何萬圓かを、ひそかに費消してしまつてゐたのである。何に使つたかは、輕々に、私たち、今は言へない。校長自身が、知つてゐる。そのころの政客のあひだでは、そんなこと平氣なんだらうが、「教育界でそんなことをして、ばかだ。」と當時縣會議員をしてゐた、私の兄が言つてゐた。はじめから普通でなかつた。全然無學の人の感じであつた。縫紋の、ぞろりとした和服が、よく似合つて、望月
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