て、すぐに佐伯の左腕をとらえた。そのまま、ずるずる引きずって食堂へはいった。こんな奴に、ばかにされてたまるか、という野蛮な、動物的な格闘意識が勃然《ぼつぜん》と目ざめ、とかく怯弱《きょうじゃく》な私を、そんなにも敏捷《びんしょう》に、ほとんど奇蹟《きせき》的なくらい頑強に行動させた。佐伯は尚も、のがれようとして※[#「足へん+宛」、第3水準1−92−36]《もが》いた。
「坐り給え。」私は彼を無理矢理、椅子に坐らせようとした。
 佐伯は、一言も発せず、ぶるんと大きく全身をゆすぶって私の手から、のがれた。のがれて直《す》ぐにポケットから、きらりと光るものを取り出し、
「刺すぞ。」と、人が変ったような、かすれた声で言った。私は、流石《さすが》に、ぎょっとした。殺されるかも知れぬ、と一瞬思った。恐怖の絶頂まで追いつめられると、おのずから空虚な馬鹿笑いを発する癖が、私に在る。なんだか、ぞくぞく可笑《おか》しくて、たまらなくなるのだ。胆《きも》が太いせいでは無くて、極度の小心者ゆえ、こんな場合ただちに発狂状態に到達してしまうのであるという解釈のほうが、より正しいようである。
「はははは。」と私は
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