ょ。」と小声で言って少年は起き上り、「上衣なんて、ありやしない。」
「嘘をつけ。貧を衒《てら》う。安価なヒロイズムだ。さっさと靴《くつ》をはいて、僕と一緒に来たまえ。」
「靴なんて、ありやしない。売っちゃったんだよ。」立ちつくし、私の顔を見上げて笑っている。
 私は、異様な恐怖に襲われた。この目前の少年を、まるっきりの狂人ではないかと疑ったのである。
「君は、まさか、」と言いかけて、どもってしまった。あまりにも失礼な、恐しい質問なので、言いかけた当の私が、べそをかいた。
「きのう迄は、あったんだよ。要《い》らなくなったから、売っちゃった。シャツなら、あるさ。」と無邪気な口調で言って、足もとの草原から、かなり上等らしい駱駝《らくだ》色のアンダアシャツを拾い上げ、「はだかで、ここまで来られるものか。僕の下宿は本郷だよ。ばかだね、君は。」
「はだしで来たわけじゃ、ないだろうね。」私は尚《なお》も、しつこく狐疑《こぎ》した。甚だ不安なのである。
「ああ、陸の上は不便だ。」少年はアンダアシャツを頭からかぶって着おわり、「バイロンは、水泳している間だけは、自分の跛《びっこ》を意識しなくてよかったん
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