お得意筋に当るさる身分ある方の御隠居の口添で、奉公先がきまった。美濃伯爵家である。
美濃家は、淋《さび》しい家であった。てるは、お寺に来たような気がした。奉公に来て二日目の朝、てるは庭先で手帖を一冊ひろった。それには、わけのわからぬ事が、いっぱい書かれて在った。美濃十郎の手帖である。
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○あれでもない、これでもない。
○何も無い。
○FNへチップ五円わすれぬこと。薔薇《ばら》の花束、白と薄紅がよからむ。水曜日。手渡す時の仕草が問題。
○ネロの孤独に就《つ》いて。
○どんないい人の優しい挨拶にも、何か打算が在るのだと思うと、つらいね。
○誰か殺して呉れ。
○以後、洋服は月賦のこと。断行せよ。
○本気になれぬ。
○ゆうべ、うらない看《み》てもらった。長生《ちょうせい》する由。子供がたくさん出来る由。
○飼いごろし。
○モオツアルト。Mozart.
○人のためになって死にたい。
○コーヒー八杯呑んでみる。なんともなし。
○文化の敵、ラジオ。拡声器。
○自転車一台購入。べつに使途なし。
○もりたや女将《おかみ》に六百円手交。借銭は人生の義務か。
○駱
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