の出るほどの殴打があった。水辺のしずかな散歩のかわりに、砂塵濛々の戦車の疾駈《しっく》があった。
 相剋《そうこく》の結合は、含羞《がんしゅう》の華をひらいた。アグリパイナは、みごもった。ブラゼンバートは、この事実を知って大笑した。他意は無かった。ただ、おかしかったのである。
 アグリパイナは、ほとんど復讐を断念していた。この子だけは、と弱草一すじのたのみをそこにつないだ。その子は、夏の真昼《まひる》に生れた。男子であった。膚やわらかく、唇赤き弱々しげの男子であった。ドミチウス(ネロの幼名)と呼ばれた。
 父君ブラゼンバートは、嬰児《えいじ》と初の対面を為し、そのやわらかき片頬を、むずと抓《つね》りあげ、うむ、奇態のものじゃ、ヒッポのよい玩具が出来たわ、と言い放ち、腹をゆすって笑った。ヒッポとは、ブラゼンバートお気にいりの牝獅子《めじし》の名であった。アグリパイナは、産後のやつれた頬に冷い微笑を浮べて応答した。この子は、あなたのお子ではございませぬ。この子は、きっとヒッポの子です。
 その、ヒッポの子、ネロが三歳の春を迎えて、ブラゼンバートは石榴《ざくろ》を種子ごと食って、激烈の腹痛に
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