の大學生をえらんで聲をかけてやつた。うすみどり色の外套にくるまつた、その大學生は立ちどまり、ノオトから眼をはなさず、くはへてゐた金口の煙草をわれに與へた。與へてそのままのろのろと歩み去つた。大學にもわれに匹敵する男がある。われはその金口の外國煙草からおのが安煙草に火をうつして、おもむろに立ちあがり、金口の煙草を力こめて地べたへ投げ捨て靴の裏でにくしみにくしみ踏みにじつた。それから、ゆつたり試驗場へ現れたのである。
試驗場では、百人にあまる大學生たちが、すべてうしろへうしろへと尻込みしてゐた。前方の席に坐るならば、思ふがままに答案を書けまいと懸念してゐるのだ。われは秀才らしく最前列の席に腰をおろし、少し指先をふるはせつつ煙草をふかした。われには机のしたで調べるノオトもなければ、互ひに小聲で相談し合ふひとりの友人もないのである。
やがて、あから顏の教授が、ふくらんだ鞄をぶらさげてあたふたと試驗場へ駈け込んで來た。この男は、日本一のフランス文學者である。われは、けふはじめて、この男を見た。なかなかの柄であつて、われは彼の眉間の皺に不覺ながら威壓を感じた。この男の弟子には、日本一の詩人と日
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