り、庭園に出たのである。これは、むかし、さるお大名のお庭であつた。池には鯉と緋鯉とすつぽんがゐる。五六年まへまでには、ひとつがひの鶴が遊んでゐた。いまでも、この草むらには蛇がゐる。雁や野鴨の渡り鳥も、この池でその羽を休める。庭園は、ほんたうは二百坪にも足りないひろさなのであるが、見たところ千坪ほどのひろさなのだ。すぐれた造園術のしかけである。われは池畔の熊笹のうへに腰をおろし、背を樫の古木の根株にもたせ、兩脚をながながと前方になげだした。小徑をへだてて大小凸凹の岩がならび、そのかげからひろびろと池がひろがつてゐる。曇天の下の池の面は白く光り、小波の皺をくすぐつたげに疊んでゐた。右足を左足のうへに輕くのせてから、われは呟く。
 ――われは盜賊。
 まへの小徑を大學生たちが一列に並んで通る。ひきもきらず、ぞろぞろと流れるやうに通るのである。いづれは、ふるさとの自慢の子。えらばれた秀才たち。ノオトのおなじ文章を讀み、それをみんなみんなの大學生が、一律に暗記しようと努めてゐた。われは、ポケツトから煙草を取りだし、一本、口にくはへた。マツチがないのである。
 ――火を借して呉れ。
 ひとりの美男
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