田舍のごちそうであつた。眼をつぶつて仰向のまま、二匙すすると、もういい、と言つた。ほかになにか、と問はれ、うす笑ひして、遊びたい、と答へた。老人の、ひとのよい無學ではあるが利巧な、若く美しい妻は、居並ぶ近親たちの手前、嫉妬でなく頬をあからめ、それから匙を握つたまま聲しのばせて泣いたといふ。

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 ことし落第ときまつた。それでも試驗は受けるのである。甲斐ない努力の美しさ。われはその美に心をひかれた。今朝こそわれは早く起き、まつたく一年ぶりで學生服に腕をとほし、菊花の御紋章かがやく高い大きい鐵の門をくぐつた。おそるおそるくぐつたのである。すぐに銀杏の並木がある。右側に十本、左側にも十本、いづれも巨木である。葉の繁るころ、この路はうすぐらく、地下道のやうである。いまは一枚の葉もない。並木路のつきるところ、正面に赤い化粧煉瓦の大建築物。これは講堂である。われはこの内部を入學式のとき、ただいちど見た。寺院の如き印象を受けた。いまわれは、この講堂の塔の電氣時計を振り仰ぐ。試驗には、まだ十五分の間があつた。探偵小説家の父親の銅像に、いつくしみの瞳をそそぎつつ、右手のだらだら坂を下
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