あるとは思はなかつた。ほそぼそとした暮しは、老人には理解できないのである。
ふつうの人間は臨終ちかくなると、おのれの兩のてのひらをまじまじと眺めたり、近親の瞳をぼんやり見あげてゐるものであるが、この老人は、たいてい眼をつぶつてゐた。ぎゆつと固くつぶつてみたり、ゆるくあけて瞼をぷるぷるそよがせてみたり、おとなしくそんなことをしてゐるだけなのである。蝶蝶が見えるといふのであつた。青い蝶や、黒い蝶や、白い蝶や、黄色い蝶や、むらさきの蝶や、水色の蝶や、數千數萬の蝶蝶がすぐ額のうへをいつぱいにむれ飛んでゐるといふのであつた。わざとさういふのであつた。十里とほくは蝶の霞。百萬の羽ばたきの音は、眞晝のあぶの唸りに似てゐた。これは合戰をしてゐるのであらう。翼の粉末が、折れた脚が、眼玉が、觸角が、長い舌が、降るやうに落ちる。
食べたいものは、なんでも、と言はれて、あづきかゆ、と答へた。老人が十八歳で始めて小説といふものを書いたとき、臨終の老人が、あづきかゆ、を食べたいと呟くところの描冩をなしたことがある。
あづきかゆは作られた。それは、お粥にゆで小豆を散らして、鹽で風味をつけたものであつた。老人の
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