は微笑みつつ、わざとゆつくりその帽子を拾ひに歩きはじめた。毎日毎日のみぞれのために、道はとろとろ溶けてゐた。しやがんで、泥にまみれた帽子を拾つたとたんに、私は逃げやうと考へた。五圓たすかる。別のところで、もいちど呑むのだ。私は二あし三あし走つた。滑つた。仰向にひつくりかへつた。踏みつぶされた雨蛙の姿に似てゐたやうであつた。自身のぶざまが、私を少し立腹させたのである。手袋も上衣もズボンもそれからマントも、泥まみれになつてゐる。私はのろのろと起きあがり、頭をあげて百姓のもとへ引返した。百姓は、女給たちに取りまかれ、まもられてゐた。誰ひとり味方がない。その確信が私の兇暴さを呼びさましたのである。
――お禮をしたいのだ。
せせら笑つてさう言つてから、私は手袋を脱ぎ捨て、もつと高價なマントをさへ泥のなかへかなぐり捨てた。私は自身の大時代なせりふとみぶりにやや滿足してゐた。誰かとめて呉れ。
百姓は、もそもそと犬の毛皮の胴着を脱ぎ、それを私に煙草をめぐんで呉れた美人の女給に手渡して、それから懷のなかへ片手をいれた。
――汚い眞似をするな。
私は身構へて、さう注意してやつた。
懷から一本の
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