。甘えたのさ。いいぢやないか。
 ――おれは百姓だ。甘えられて、腹がたつ。
 私は百姓の顏を見直した。短い角刈にした小さい頭と、うすい眉と、一重瞼の三白眼と、蒼黒い皮膚であつた。身丈は私より確かに五寸はひくかつた。私は、あくまで茶化してしまはうと思つた。
 ――ウヰスキイが呑みたかつたのさ。おいしさうだつたからな。
 ――おれだつて呑みたかつた。ウヰスキイが惜しいのだ。それだけだ。
 ――君は正直だ。可愛い。
 ――生意氣いふな。たかが學生ぢやないか。つらにおしろいをぬたくりやがつて。
 ――ところが僕は、易者だといふことになつてゐる。豫言者だよ。驚いたらう。
 ――醉つたふりなんかするな。手をつゐてあやまれ。
 ――僕を理解するには何よりも勇氣が要る。いい言葉ぢやないか。僕はフリイドリツヒ・ニイチエだ。
 私は女給たちのとめて呉れるのを、いまかいまかと待つてゐた。女給たちはしかし、そろつて冷い顏して私の毆られるのを待つてゐた。そのうちに私は毆られた。右のこぶしが横からぐんと飛んで來たので、私は首筋を素早くすくめた。十間ほどふつとんだ。私の白線の帽子が身がはりになつて呉れたのである。私
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