ゐるポスタアが、東側の壁にいちまい貼られてゐた。ポスタアの裾にはカブトビイルと横に黒く印刷されてある。それと向ひ合つた西側の壁には一坪ばかりの鏡がかけられてゐた。鏡は金粉を塗つた額縁に收められてゐるのである。北側の入口には赤と黒との縞のよごれたモスリンのカアテンがかけられ、そのうへの壁に、沼のほとりの草原に裸で寢ころんで大笑ひをしてゐる西洋の女の冩眞がピンでとめつけられてゐた。南側の壁には、紙の風船玉がひとつ、くつついてゐた。それがすぐ私の頭のうへにあるのである。腹の立つほど、調和がなかつた。三つのテエブルと十脚の椅子。中央にストオヴ。土間は板張りであつた。私はこのカフヱでは、たうてい落ちつけないことを知つてゐた。電氣が暗いので、まだしも幸ひである。
その夜、私は異樣な歡待を受けた。私がその中年の女給に酌をされて熱い日本酒の最初の徳利をからにしたころ、さきに私に煙草をいつぽんめぐんで呉れたわかい女給が、突然、私の鼻先へ右のてのひらを差し出したのである。私はおどろかずに、ゆつくり顏をあげて、その女給の小さい瞳の奧をのぞいた。運命をうらなつて呉れ、と言ふのである。私はとつさのうちに了解した。たとへ私が默つてゐても、私のからだから豫言者らしい高い匂ひが發するのだ。私は女の手に觸れず、ちらと眼をくれ、きのふ愛人を失つた、と呟いた。當つたのである。そこで異樣な歡待がはじまつた。ひとりのふとつた女給は、私を先生とさへ呼んだ。私は、みんなの手相を見てやつた。十九歳だ。寅のとし生れだ。よすぎる男を思つて苦勞してゐる。薔薇の花が好きだ。君の家の犬は、仔犬を産んだ。仔犬の數は六。ことごとく當つたのである。かの痩せた、眼のすずしい中年の女給は、ふたりの亭主を失つたと言はれて、みるみる頸をうなだれた。この不思議の的中は、みんなのうちで、私をいちばん興奮させた。すでに六本の徳利をからにしてゐたのである。このとき、犬の毛皮の胴着をつけた若い百姓が入口に現はれた。
百姓は私のテエブルのすぐ隣りのテエブルに、こつちへ毛皮の背をむけて坐り、ウヰスキイと言つた。犬の毛皮の模樣は、ぶちであつた。この百姓の出現のために、私のテエブルの有頂天は一時さめた。私はすでに六本の徳利をからにしたことを、ちくちく悔いはじめたのである。もつともつと醉ひたかつた。こよひの歡喜をさらにさらに誇張してみたかつたのである。あと四本しか呑めぬ。それでは足りない。足りないのだ。盜まう。このウヰスキイを盜まう。女給たちは、私が金錢のために盜むのでなく、豫言者らしい突飛な冗談と見てとつて、かへつて喝采を送るだらう。この百姓もまた、醉ひどれの惡ふざけとして苦笑をもらすくらゐのところであらう。盜め! 私は手をのばし、隣りのテエブルのそのウヰスキイのコツプをとりあげ、おちついて呑みほした。喝采は起らなかつた。しづかになつた。百姓は私のはうをむいて立ちあがつた。外へ出ろ。さう言つて、入口のはうへ歩きはじめた。私も、にやにや笑ひながら百姓のあとについて歩いた。金色の額縁にをさめられてある鏡を通りすがりにちらと覗いた。私は、ゆつたりした美丈夫であつた。鏡の奧底には、一尺に二尺の笑ひ顏が沈んでゐた。私は心の平靜をとりもどした。自信ありげに、モスリンのカアテンをぱつとはじいた。
THE HIMAWARI と黄色いロオマ字が書かれてある四角の軒燈の下で、私たちは立ちどまつた。女給四人は、薄暗い門口に白い顏を四つ浮かせてゐた。
私たちは次のやうな爭論をはじめたのである。
――あまり馬鹿にするなよ。
――馬鹿にしたのぢやない。甘えたのさ。いいぢやないか。
――おれは百姓だ。甘えられて、腹がたつ。
私は百姓の顏を見直した。短い角刈にした小さい頭と、うすい眉と、一重瞼の三白眼と、蒼黒い皮膚であつた。身丈は私より確かに五寸はひくかつた。私は、あくまで茶化してしまはうと思つた。
――ウヰスキイが呑みたかつたのさ。おいしさうだつたからな。
――おれだつて呑みたかつた。ウヰスキイが惜しいのだ。それだけだ。
――君は正直だ。可愛い。
――生意氣いふな。たかが學生ぢやないか。つらにおしろいをぬたくりやがつて。
――ところが僕は、易者だといふことになつてゐる。豫言者だよ。驚いたらう。
――醉つたふりなんかするな。手をつゐてあやまれ。
――僕を理解するには何よりも勇氣が要る。いい言葉ぢやないか。僕はフリイドリツヒ・ニイチエだ。
私は女給たちのとめて呉れるのを、いまかいまかと待つてゐた。女給たちはしかし、そろつて冷い顏して私の毆られるのを待つてゐた。そのうちに私は毆られた。右のこぶしが横からぐんと飛んで來たので、私は首筋を素早くすくめた。十間ほどふつとんだ。私の白線の帽子が身がはりになつて呉れたのである。私
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