の處女作、聖アントワンヌの誘惑に對する不評判の屈辱をそそがうとして、一生を棒にふつた。所謂刳磔の苦勞をして、一作、一作を書き終へるごとに、世評はともあれ、彼の屈辱の傷はいよいよ激烈にうづき、痛み、彼の心の滿たされぬ空洞が、いよいよひろがり、深まり、さうして死んだのである。傑作の幻影にだまくらかされ、永遠の美に魅せられ、浮かされ、たうたうひとりの近親はおろか、自分自身をさへ救ふことができなんだ。ボオドレエルこそは、お坊ちやん。以上。
 先生、及第させて、などとは書かないのである。二度くりかへして讀み、書き誤りを見出さず、それから、左手に外套と帽子を持ち右手にそのいちまいの答案を持つて、立ちあがつた。われのうしろの秀才は、われの立つたために、あわてふためいてゐた。われの背こそは、この男の防風林になつてゐたのだ。ああ。その兎に似た愛らしい秀才の答案には、新進作家の名前が記されてゐたのである。われはこの有名な新進作家の狼狽を不憫に思ひつつ、かのぢぢむさげな教授に意味ありげに一禮して、おのが答案を提出した。われはしづしづと試驗場を、出るが早いかころげ落ちるやうに階段を駈け降りた。
 戸外へ出て、わかい盜賊は、うら悲しき思ひをした。この憂愁は何者だ。どこからやつて來やがつた。それでも、外套の肩を張りぐんぐんと大股つかつて銀杏の並木にはさまれたひろい砂利道を歩きながら、空腹のためだ、と答へたのである。二十九番教室の地下に、大食堂がある。われは、そこへと歩をすすめた。
 空腹の大學生たちは、地下室の大食堂からあふれ、入口よりして長蛇の如き列をつくり、地上にはみ出て、列の尾の部分は、銀杏の並木のあたりにまで達してゐた。ここでは、十五錢でかなりの晝食が得られるのである。一丁ほどの長さであつた。
 ――われは盜賊。希代のすね者。かつて藝術家は人を殺さぬ。かつて藝術家はものを盜まぬ。おのれ。ちやちな小利巧の仲間。
 大學生たちをどんどん押しのけ、やうやう食堂の入口にたどりつく。入口には小さい貼紙があつて、それにはかう書きしたためられてゐた。
 ――けふ、みなさまの食堂も、はばかりながら創業滿三箇年の日をむかへました。それを祝福する内意もあり、わづかではございますが、奉仕させていただきたく存じます。
 その奉仕の品品が、入口の傍の硝子棚のなかに飾られてゐる。赤い車海老はパセリの葉の蔭に憇ひ、
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