田舍のごちそうであつた。眼をつぶつて仰向のまま、二匙すすると、もういい、と言つた。ほかになにか、と問はれ、うす笑ひして、遊びたい、と答へた。老人の、ひとのよい無學ではあるが利巧な、若く美しい妻は、居並ぶ近親たちの手前、嫉妬でなく頬をあからめ、それから匙を握つたまま聲しのばせて泣いたといふ。
盜賊
ことし落第ときまつた。それでも試驗は受けるのである。甲斐ない努力の美しさ。われはその美に心をひかれた。今朝こそわれは早く起き、まつたく一年ぶりで學生服に腕をとほし、菊花の御紋章かがやく高い大きい鐵の門をくぐつた。おそるおそるくぐつたのである。すぐに銀杏の並木がある。右側に十本、左側にも十本、いづれも巨木である。葉の繁るころ、この路はうすぐらく、地下道のやうである。いまは一枚の葉もない。並木路のつきるところ、正面に赤い化粧煉瓦の大建築物。これは講堂である。われはこの内部を入學式のとき、ただいちど見た。寺院の如き印象を受けた。いまわれは、この講堂の塔の電氣時計を振り仰ぐ。試驗には、まだ十五分の間があつた。探偵小説家の父親の銅像に、いつくしみの瞳をそそぎつつ、右手のだらだら坂を下り、庭園に出たのである。これは、むかし、さるお大名のお庭であつた。池には鯉と緋鯉とすつぽんがゐる。五六年まへまでには、ひとつがひの鶴が遊んでゐた。いまでも、この草むらには蛇がゐる。雁や野鴨の渡り鳥も、この池でその羽を休める。庭園は、ほんたうは二百坪にも足りないひろさなのであるが、見たところ千坪ほどのひろさなのだ。すぐれた造園術のしかけである。われは池畔の熊笹のうへに腰をおろし、背を樫の古木の根株にもたせ、兩脚をながながと前方になげだした。小徑をへだてて大小凸凹の岩がならび、そのかげからひろびろと池がひろがつてゐる。曇天の下の池の面は白く光り、小波の皺をくすぐつたげに疊んでゐた。右足を左足のうへに輕くのせてから、われは呟く。
――われは盜賊。
まへの小徑を大學生たちが一列に並んで通る。ひきもきらず、ぞろぞろと流れるやうに通るのである。いづれは、ふるさとの自慢の子。えらばれた秀才たち。ノオトのおなじ文章を讀み、それをみんなみんなの大學生が、一律に暗記しようと努めてゐた。われは、ポケツトから煙草を取りだし、一本、口にくはへた。マツチがないのである。
――火を借して呉れ。
ひとりの美男
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