を、次々とやらかすので、ついには北さんのお宅の二階に押し込められて、しばらく居候《いそうろう》のような生活をせざるを得なくなった事さえあった。故郷の兄は私のだらし無さに呆《あき》れて、時々送金を停止しかけるのであるが、その度毎に北さんは中へはいって、もう一年、送金をたのみます、と兄へ談判してくれるのであった。一緒にいた女の人と、私は別れる事になったのであるが、その時にも実に北さんにお手数をかけた。いちいちとても数え切れない。私の実感を以《もっ》て言うならば、およそ二十の長篇小説を書き上げるくらいの御苦労をおかけしたのである。そうして私は相変らずの、のほほん顔で、ただ世話に成りっ放し、身のまわりの些細《ささい》の事さえ、自分で仕様とはしないのだ。
 三十歳のお正月に、私は現在の妻と結婚式を挙げたのであるが、その時にも、すべて中畑さんと北さんのお世話になってしまった。当時、私はほとんど無一文といっていい状態であった。結納金《ゆいのうきん》は二十円、それも或る先輩からお借りしたものである。挙式の費用など、てんで、どこからも捻出《ねんしゅつ》の仕様が無かったのである。当時、私は甲府市に小さい家
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