さい時から、頑強に私を支持してくれていた。
中畑さんのお家で、私は紬《つむぎ》の着物に着換えて、袴《はかま》をはいた。その五所川原という町から、さらに三里はなれた金木《かなぎ》町というところに、私の生れた家が在るのだ。五所川原駅からガソリンカアで三十分くらい津軽平野のまんなかを一直線に北上すると、その町に着くのだ。おひる頃、中畑さんと北さんと私と三人、ガソリンカアで金木町に向った。
満目の稲田。緑の色が淡い。津軽平野とは、こんなところだったかなあ、と少し意外な感に打たれた。その前年の秋、私は新潟へ行き、ついでに佐渡へも行ってみたが、裏日本の草木の緑はたいへん淡く、土は白っぽくカサカサ乾いて、陽の光さえ微弱に感ぜられて、やりきれなく心細かったのだが、いま眼前に見るこの平野も、それと全く同じであった。私はここに生れて、そうしてこんな淡い薄い風景の悲しさに気がつかず、のんきに遊び育ったのかと思ったら、妙な気がした。青森に着いた時には小雨が降っていたが、間もなく晴れて、いまはもう薄日さえ射している。けれども、ひんやり寒い。
「この辺はみんな兄さんの田でしょうね。」北さんは私をからかうように笑いながら尋ねる。
中畑さんが傍から口を出して、
「そうです。」やはり笑いながら、「見渡すかぎり、みんなそうです。」少し、ほらのようであった。「けれども、ことしは不作ですよ。」
はるか前方に、私の生家の赤い大屋根が見えて来た。淡い緑の稲田の海に、ゆらりと浮いている。私はひとりで、てれて、
「案外、ちいさいな。」と小声で言った。
「いいえ、どうして、」北さんは、私をたしなめるような口調で、「お城です。」と言った。
ガソリンカアは、のろのろ進み、金木駅に着いた。見ると、改札口に次兄の英治さんが立っている。笑っている。
私は、十年振りに故郷の土を踏んでみた。わびしい土地であった。凍土《とうど》の感じだった。毎年毎年、地下何尺か迄《まで》こおるので、土がふくれ上って、白っちゃけてしまったという感じであった。家も木も、土も、洗い晒《さら》されているような感じがするのである。路は白く乾いて、踏み歩いても足の裏の反応は少しも無い。ひどく、たより無い感じだ。
「お墓。」と誰か、低く言った。それだけで皆に了解出来た。四人は黙って、まっすぐにお寺へ行った。そうして、父の墓を拝んだ。墓の傍の栗の大木
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