帰去来
太宰治
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)流石《さすが》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)意気|軒昂《けんこう》たるものがあった。
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人の世話にばかりなって来ました。これからもおそらくは、そんな事だろう。みんなに大事にされて、そうして、のほほん顔で、生きて来ました。これからも、やっぱり、のほほん顔で生きて行くのかも知れない。そうして、そのかずかずの大恩に報いる事は、おそらく死ぬまで、出来ないのではあるまいか、と思えば流石《さすが》に少し、つらいのである。
実に多くの人の世話になった。本当に世話になった。
このたびは、北さんと中畑さんと二人だけの事を書いて置くつもりであるが、他の大恩人の事も、私がもすこし佳《よ》い仕事が出来るようになってから順々に書いてみたいと思っている。今はまだ、書きかたが下手だから、ややこしい関係の事など、どうしても、うまく書けないのではあるまいかというような気がするのであるが、その点、北さんと中畑さんの事ならば、いまの私の力でもってしても、わりあい正確に書けるのではなかろうかと思うのである。それは、どちらかと言えば、単純な、明白な関係だからである。けれども、実在の、つつましい生活人を描くに当って、それ相応のこまかい心遣いの必要な事も無論である。あの人たちには、私の描写に対して訂正を申込み給う機会さえ無いのだから。
私は絶対に嘘《うそ》を書いてはいけない。
中畑さんも北さんも、共に、かれこれ五十歳。中畑さんのほうが、一つか二つ若いかも知れない。中畑さんは、私の死んだ父に、愛されていたようだ。私の町から三里ほど離れた五所川原《ごしょがわら》という町の古い呉服屋の、番頭さんであったのだが、しじゅう私の家へやって来ては、何かと家の用事までしてくれていたようである。私の父は中畑さんを「そうもく」と呼んでいた。つまり、中畑さんには少しも色気が無くて、三十歳ちかくなってもお嫁さんをもらおうとしないのを、からかって「草木」などと呼んでいたものらしい。とうとう、私の父が世話して、私の家と遠縁の佳いお嬢さんをもらってあげた。中畑さんは、間もなく独立して呉服商を営み、成功して、いまでは五所川原町の名士である。この中畑さん御一家に、私はこの十年間、御心配やら御迷惑やら、実にお手数をかけてしまった
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