ず、と呻《うめ》いている。少女は、ベッドから降りて、自分の砂糖水を、そのおじいさんに全部飲ませてやる、というだけのものであったが、私はその挿画さえ、いまでもぼんやり覚えている。実にそれは心にしみた。そうして、その物語の題の傍に、こう書かれていた。汝等おのれを愛するが如く、汝の隣人を愛せ。
しかし私は、このような回想を以て私の思想にこじつけようとは思わぬ。私のこんな思い出話を以て、私の家の宗派の親鸞の教えにこじつけ、そうしてまた後の、れいのデモクラシイにこじつけようとしたら、それはまるで何某先生の「余は如何《いか》にして何々主義者になりしか」と同様の白々しいものになってしまうであろう。この私の読書の回想は、あくまでも断片である。どこにこじつけようとしても、無理がある。嘘が出る。
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さて、それでは、いよいよ、私のれいのデモクラシイは、それからどうなったか。どうもこうもなりやしない。あれは、あのまま立消えになったようである。まえにも言って置いたように、私はいまここで当時の社会状勢を報告しようとしているのではない。私の肉体感覚の断片を書きならべて見ようと思っているだけで
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