しかし、何の趣きも無い。
 書画|骨董《こっとう》で、重要美術級のものは、一つも無かった。
 この父は、芝居が好きなようであったが、しかし、小説は何も読まなかった。「死線を越えて」という長編を読み、とんだ時間つぶしをしたと愚痴《ぐち》を言っていたのを、私は幼い時に聞いて覚えている。
 しかし、その家系には、複雑な暗いところは一つも無かった。財産争いなどという事は無かった。要するに誰も、醜態《しゅうたい》を演じなかった。津軽地方で最も上品な家の一つに数えられていたようである。この家系で、人からうしろ指を差されるような愚行を演じたのは私ひとりであった。
         ×
 余の幼少の折、(というような書出しは、れいの思想家たちの回想録にしばしば見受けられるものであって、私が以下に書き記そうとしている事も、下手《へた》をすると、思想家の回想録めいた、へんに思わせぶりのものになりはせぬかと心配のあまり、えい、いっそ、そのような気取った書出しを用いてやれ、とつまり毒を以《もっ》て毒を制する形にしてしまったのであるが、しかし、以下に書き記す事は、決して虚飾の記事ではない。本当に、それは、事実な
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