た。父も養子であった。女が勢いのある家系であった。曾祖母も祖母も母も、みなそれぞれの夫よりも長命である。曾祖母は、私の十になる頃まで生きていた。祖母は、九十歳で未だに達者である。母は七十歳まで生きて、先年なくなった。女たちは、みなたいへんにお寺が好きであった。殊《こと》にも祖母の信仰は異常といっていいくらいで、家族の笑い話の種にさえなっている。お寺は、浄土真宗《じょうどしんしゅう》である。親鸞《しんらん》上人のひらいた宗派である。私たちも幼時から、イヤになるくらいお寺まいりをさせられた。お経も覚えさせられた。
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 私の家系には、ひとりの思想家もいない。ひとりの学者もいない。ひとりの芸術家もいない。役人、将軍さえいない。実に凡俗の、ただの田舎の大地主というだけのものであった。父は代議士にいちど、それから貴族院にも出たが、べつだん中央の政界に於いて活躍したという話も聞かない。この父は、ひどく大きい家を建てた。風情も何も無い、ただ大きいのである。間数《まかず》が三十ちかくもあるであろう。それも十畳二十畳という部屋が多い。おそろしく頑丈《がんじょう》なつくりの家ではあるが、
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