からなかった。私は、はっきり眼を開いて、気の遠くなるのをひたすら待った。しかも私は、そのときの己れの顔を知っていたのだ。はっきりと、この眼に見えるのであった。顔一めんが暗紫色、口の両すみから真白い泡《あわ》を吹いている。この顔とそっくりそのままのふくれた河豚《ふぐ》づらを、中学時代の柔道の試合で見たことがあるのだ。そんなに泡の出るほどふんばらずとも、と当時たいへん滑稽に感じていた、その柔道の選手を想起したとたんに私は、ひどくわが身に侮辱を覚え、怒りにわななき、やめ! 私は腕をのばして遮二無二《しゃにむに》枝につかまった。思わず、けだもののような咆哮《ほうこう》が腹の底から噴出した。一本の外国煙草がひと一人の命と立派に同じ価格でもって交換されたという物語。私の場合、まさにそれであった。縄を取去り、その場にうち伏したまま、左様、一時間くらい死人のようにぐったりしていた。蟻《あり》の動くほどにも動けなかった。そのときポケットの中の高価の煙草を思い出し、やたらむしょうに嬉しくなって、はじかれたように、むっくり起きた。ふるえる手先で煙草の封をきって一本を口にくわえた。私のすぐうしろ、さらさらとた
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