、保田與重郎氏は涙さえ浮べて、なんどもなんども首肯《うなず》いて呉れるだろう。保田のそのうしろ姿を思えば、こんどは私が泣きたくなって、
――だんだん小説がむずかしくなって来て困ります。
――そう。……でも。
口ごもって居られた。不服のようであった。ヴィルヘルム・マイスタアは、むずかしく考えて書いた小説ではなかった、と私はわれに優しく言い聞かせ、なるほど、なるほどと了解して、そうして、しずかな、あたたかな思いをした。私は、ふと象戯《しょうぎ》をしたく思って、どうでしょうと誘ったら、深田久弥も、にこにこ笑いだして、気がるく応じた。日本で一ばん気品が高くて、ゆとりある合戦をしようと思った。はじめは私が勝って、つぎには私が短気を起したものだから、負けた。私のほうが、すこし強いように思われた。深田久弥は、日本に於いては、全くはじめての、「精神の女性」を創った一等の作家である。この人と、それから井伏鱒二氏を、もっと大事にしなければ。
――一対一ということにして。
私は象戯の駒《こま》を箱へしまいながら、
――他日、勝負をつけましょう。
これが深田氏の、太宰についてのたった一つの残念な
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