な》。あす知れぬいのち。自動車は、本牧の、とあるホテルのまえにとまった。ナポレオンに似たひとだな、と思っていたら、やがてその女のひとの寝室に案内され枕もとを見ると、ナポレオンの写真がちゃんと飾られていた。誰しもそう思うのだなと、やっとうれしく、あたたかくなって来た。
 その夜、ナポレオンは、私の知らない遊びかたを教えて呉れた。
 あくる朝は、雨であった。窓をひらけば、ホテルの裏庭。みどりの草が一杯に生えて、牧場に似ていた。草はらのむこうには、赤濁りに濁った海が、低い曇天に押しつぶされ、白い波がしらも無しに、ゆらりゆらり、重いからだをゆすぶっていて、窓のした、草はらのうえに捨てられてある少し破れた白足袋は、雨に打たれ、女の青い縞《しま》のはんてんを羽織って立っている私は、錐《きり》で腋《わき》の下を刺され擽《くす》ぐられ刺されるほどに、たまらない思いであった。ハクランカイをごらんなさればよろしいに、と南国|訛《なま》りのナポレオン君が、ゆうべにかわらぬ閑雅《かんが》の口調でそうすすめて、にぎやかの万国旗が、さっと脳裡《のうり》に浮んだが、ばか、大阪へ行く、京都へも行く、奈良へも行く、新緑
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