ひろくて、山村、カツ西、豊野を加え、カジョーもまた努力してくれて、伊牟田氏を入れてくれました。カジョーとは段々仲が良くなり、ぼくの臭さも彼、許してくれてきましたようです。『春服』創刊から二号にかけて、ぼくは昨年暮から今年の三月頃まで就職に狂奔《きょうほん》しました。幸い、ぼくは母方の祖父の友人の世話で現在の会社に入れて貰いました。その頃から益々《ますます》兄と仲が悪く、蔵書一切を売って旅に出ようと決心したりしました。兄はぼくが文学をやめるのを極度に軽べつします。兄貴に食わして貰うのは卒業後不可能です。母の悲歎を思えば神崎の如き文学青年の生活も出来ないし、一つには会社員と云う生活もしてみたかったのです。会社に入って一月半、君は肉体が良いから、朝鮮か満洲に行って貰いたいと頼まれました。母や兄と一緒の窮屈なる生活に嫌気がさし、また新しい生活もしたさに、ぼくは朝鮮に来ました。満洲より朝鮮が小説になる気もしたのですが、これは会社員になったのと同様、色々な自分の意見からより、色々な必然の為でしょう。『青年の思想はおのれの行動の弁解に過ぎぬ。』H先生の言葉みたいなものです。ぼくはここ迄を昨夜、女郎に
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