。私は、医師を呼び、あくる日、精神病院に入院させた。高橋は静かに、謂《い》わば、そろそろと、狂っていったのである。味わいの深い狂いかたであると思惟《しい》いたします。ああ。あなたの小説を、にっぽん一だと申して、幾度となく繰り返し繰り返し拝読して居る様子で、貴作、ロマネスクは、すでに諳誦《あんしょう》できる程度に修行したとか申して居たのに。むかしの佳《よ》き人たちの恋物語、あるいは、とくべつに楽しかった御旅行の追憶、さては、先生御自身のきよらかなるロマンス、等々、病床の高橋君に書き送る形式にて、四枚、月末までにおねがい申しあげます。大阪サロン編輯部、春田一男。太宰治様。」
「君の葉書読んだ。単なる冷やかしに過ぎんではないか。君は真実の解らん人だね。つまらんと思う。吉田潔。」
「冠省。首くくる縄切《なわき》れもなし年の暮。私も、大兄お言いつけのものと同額の金子《きんす》入用にて、八方|狂奔《きょうほん》。岩壁、切りひらいて行きましょう。死ぬるのは、いつにても可能。たまには、後輩のいうことにも留意して下さい。永野喜美代。」
「先日は御手紙|有難《ありがと》う。又、電報もいただいた。原稿は、どういうことにしますか。君の気がむいたようにするのが、一番いいと思う。〆切《しめきり》は二十五、六日頃までは待てるのです。小生ただいま居所不定、(近くアパアトを捜す予定)だから御通信はすべて社|宛《あて》に下さる様。住所がきまったなら、お報《しら》せする。要用のみで失敬。武蔵野新聞社学芸部、長沢伝六。」

 月日。
「太宰さん。とうとう正義温情の徒にみごと一ぱい食わせられましたね。はじめから御注意申しあげて置いたら、こんなことにはならなかったのでございますが、雑誌は、どこでもそうらしいですが、ひとりの作家を特に引きたててやることは、固く禁じられて居りますし、そのうえ、この社には、重役附きのスパイが多く、これからもあることゆえ、ものやわらかの人物には気をつけて下さいまし。軽々しく、ふるまってはいけません。春田は、どんな言葉でおわびをしたのか、わかりませぬけれど、貴方《あなた》に書き直しさせたと言って、この二、三日大自慢で、それだけ、私は、小さくなっていなければならず、まことに味気ないことになりました。太宰さん、あなたもよくない。春田が、どのような巧言を並べたてたかは、存じませぬけれど、何も
前へ 次へ
全59ページ中20ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
太宰 治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング