、あんなにセンチメンタルな手紙を春田へ与える必要ございません。醜態です。猛省ねがいます。私、ちゃんとあなたのための八十円用意していたのに、春田などにたのんでは十円も危い。作家を困らせるのを、雑誌記者の天職と心得て居るのだから、始末がわるい。私ひとりで、やきもきしてたって仕様がない。太宰さん。あなたの御意見はどうなんです。こんなになめられて口惜《くや》しく思いませんか。私は、あなたのお家のこと、たいてい知って居ります。あなたの読者だからです。背中の痣《あざ》の数まで知って居ります。春田など、太宰さんの小説ひとつ読んでいないのです。私たちの雑誌の性質上、サロンの出いりも繁く、席上、太宰さんの噂《うわさ》など出ますけれど、そのような時には、春田、夏田になってしまって熱狂の身ぶりよろしく、筆にするに忍びぬ下劣の形容詞を一分間二十発くらいの割合いで猛射撃。可成《かな》りの変質者なのです。以後、浮気は固くつつしまなければいけません。このみそかは、それじゃ困るのでしょう? 私は、もうお世話ごめん被《こうむ》ります。八十円のお金、よそへまわしてしまいました。おひとりで、やってごらんなさい。そんな苦労も、ちっとは、身になります。八方ふさがったときには、御相談下さい。苦しくても、ぶていさいでも、死なずにいて下さい。不思議なもので、大きい苦しみのつぎには、きっと大きいたのしみが来ます。そうして、これは数学の如くに正確です。あせらず御養生専一にねがいます。来春は東京の実家へかえって初日を拝むつもりです。その折、お逢いできればと、いささか、たのしみにして居ります。良薬の苦味、おゆるし下さい。おそらくは貴方を理解できる唯一人の四十男、無二の小市民、高橋九拝。太宰治学兄。」

     下旬

 月日。
「突然のおたよりお許し下さい。私は、あなたと瓜《うり》二つだ。いや、私とあなた、この二人のみに非ず。青年の没個性、自己喪失は、いまの世紀の特徴と見受けられます。以下、必ず一読せられよ。(一行あき。)刺し殺される日を待って居る。(一行あき。)私は或る期間、穴蔵の中で、陰鬱《いんうつ》なる政治運動に加担していた。月のない夜、私ひとりだけ逃げた。残された仲間は、すべて、いのちを失った。私は、大地主の子である。転向者の苦悩? なにを言うのだ。あれほどたくみに裏切って、いまさら、ゆるされると思っているのか
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