るやうな勿体を附ける事もなく、あれは北条家にお生れになつたお方たちの特徴かも知れませぬが、御性格にコツンと固い几帳面なところがございまして、むだな事は大のおきらひ、隅々までお目がとどいて、そんなところだけは、ふざけたい盛りの当時の私たちにとつて、ちよつとけむつたいところでございました。さうして、それから、どうもこれは申し上げにくい事でございますが、思ひ切つて申し上げるならば、下品でした。私どもには、このやうな事をかれこれ申し上げる資格も何も無いのはもちろんの事で、私だつて当時は、ひとかたならず尼御台さまや相州さまの御世話になり、甘えて育つて来たのでございますから、本当に、こんな事を申し上げては私の口が腐る思ひが致しますけれども、どうも、北条家のお方たちには、どこやら、ちらと、なんとも言へぬ下品な匂ひがございました。さうして、そのなんだかいやな悪臭が少しづつ陰気な影を生じて来て、後年のいろいろの悲惨の基になつたやうな気も致します。いいえ、決して悪いお方たちではございません。まじめな、いいお方たちばかりでございました。二心なく将軍家にお仕へ申して居られまして、将軍家との間も極めて御円満の御様子に見受けられました。あの、和田左衛門尉さまの上総の国司所望の事から、将軍家と尼御台さまが御争論をなされ、いよいよお二人の間が気まづくなつてしまつて、これがまた将軍家の孤独、厭世の思ひを深める原因となつた等と、もつともらしく取沙汰してみた人たちも少くなかつたやうで、もとより之は根も葉もない事ではなかつたのですが、でも、御争論などとは、とんでもない捏造で、あのやうな貴い御身分のお方たちが、それも実の御母子の間で、そんな軽々しい争論など、なさるわけのものではございません。おそらく一生、お二人の間にそんな争論などといふいやしい事はなかつたでございませう。あれは、五月のなかば、いいお天気の日でございましたが、尼御台さまは御奥へお越しなされて、将軍家と静かに御物語をなされ、私も謹んでお傍に控へて居りましたが、まことにのどかな、合掌したいくらゐの御立派な御賢母と御孝子、仕へるわが身のさいはひをしみじみ思ひ知りました。
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和田ガ上総ノ国司ヲ望ンデヰマスガ
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「いけませぬ。」
 尼御台さまは軽く即座におつしやいました。けれどもそのお口元には、いかにも、お若い将軍家がお可愛くてならぬといふやうな優しい笑みをたたへていらつしやいました。
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和田モ老イマシタカラ
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 将軍家は老忠臣の和田左衛門尉さまを、それまでも何かとごひいきになさつて居られました。殊にも先年、やはり内々ごひいきだつた畠山の御一族を心ならずも失ひなされてからは、この唯一の生きのこりの大功臣をいよいよ大事においたはりなされ、このたびの上総の国司所望の事もなるべくは御許容なされたいやうな御様子が私たちにさへほの見えてゐたのでございます。その日、尼御台さまと、よもやまのお話のついでに、ふいとその事にお触れなさつたのでございますが、尼御台さまは、将軍家のそのやうなお心もちやんとお察しになつて居られたらしく、微笑んで、いいえ、やつぱりいけませぬ、故右大将の御時、すでに侍の受領は許さぬ方針に決して居りますから、と故右大将家の御先例をおだやかにお聞かせ申されたところが、将軍家には幾度もまじめに御首肯なされて、それから尼御台さまにあらたまつて御礼を申して居られました。
「いいえ、しかし、」尼御台さまには、そのやうに素直な将軍家を、おいとしくてならぬのでございませう、将軍家のお気をお引きたてなさるやうに殊更に高くお笑ひになつて、「御父君は御父君、和子には和子の流儀もあらうに、ま、それからさきは女子の差出口など無用になされ。」とおつしやいましたが、これがなんであの、御争論なものか、お二人お力を合せて故右大将家の御先例をさぐり、之に違ふこと無からんやうにお心を用ゐさせられ、ひたすら御善政にお努めになつて居られる証拠にこそはなれ、お仲がまづくなつてそのために将軍家の厭世のもとなど、なんといふたはけたせんさく、いや、つい興奮のあまり口汚くなりまして恥づかしうございますが、一事が万事、相州さまとのお仲も、俗世間の取沙汰のやうに、へんな重苦しい険悪なところなど少しも私には見受けられませんでした。貴い、謂はば霊感に満ちた将軍家と、あのさつぱりした御気性の上に思慮分別も充分の相州さまとの間に、まさか愚かな対立など起る道理はございませぬ。それはお二人の間に時々は御意見の相違が起ることも無いわけではございませんでしたが、いづれも、これから何百年経つてまたこの国にあらはれるかどうかと思はれるくらゐのづば抜けた御手腕の人物同志の事でございますから、俗
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