御覧ぜられ候はんずらめ』とて、からからと笑はれければ」などといふところでも、やはり白いお歯をちらと覗かせてお笑ひになり、
[#ここから1字下げ]
アカルサハ、ホロビノ姿デアラウカ。人モ家モ、暗イウチハマダ滅亡セヌ。
[#ここで字下げ終わり]
 と誰にともなくひとりごとをおつしやつて居られた事もございました。同じ平家琵琶でも、源家の活躍のところはあまりお求めにならないやうでございました。いちど、那須与一の段をお聞きになり、「与一鏑を取つて番ひ、能つ引いてひやうと放つ。小兵といふ条、十二束三伏、弓はつよし、鏑は浦響くほどに長鳴して、過たず扇の要ぎは一寸ばかり置いて、ひいふつとぞ射切つたる。鏑は海に入りければ、扇は空へぞあがりける。春風に一もみ二もみ揉まれて、海へさつとぞ散つたりける。皆紅の扇の夕日の輝くに、白波の上に漂ひ、浮きぬ沈みぬゆられけるを、沖には平家舷を叩きて感じたり。陸には源氏箙をたたいてどよめきけり」といふところ迄は、うつとりお耳を傾けて居られましたが、それに続けて、「あまりの面白さに、感に堪へずや思はれけん、平家のかの船の中より齢五十ばかりなる男の、黒革威の鎧著たるが、白柄の長刀杖につき、扇立たる所に立つて舞ひすましたり。伊勢三郎義盛、与一が後に歩ませ寄つて『御諚にてあるぞ。これをも亦仕れ』といひければ、与一今度は中差取つて番ひ、能つ引いてひやうと放つ。舞ひすましたる男の、真只中をひやうつと射て、舟底へ真逆様に射倒す。ああ射たりといふ者もあり、いやいや情なしといふ者も多かりけり。平家の方には、静まり返つて音もせず。源氏は又箙を叩いてどよめきけり」と法師の節おもしろく語るのを皆まで聞かず、ついとお座をお立ちになつてしまひました。いつたいにあのお方は、御叔父君の九郎判官さまを、あまりお好きでないらしく見受けられました。将軍家の、しんから尊敬して居られた方は、御先祖の八幡太郎義家公、それから御父君の右大将さま、そのお二方のやうに私には見受けられました。
 調子に乗つてとりとめの無い事ばかり申し上げて恐れいりましたが、とにかく、お若い頃の将軍家の御日常は決して暗いものではございませんでした。むしろ和気靄々、とでも言つていいくらゐのものでございまして、その頃お作りになつたお歌で、あまり人の評判にはならなかつたやうでありますが、綺麗なお歌がございます。
[#ここから1字下げ]
ハルサメノ露ノヤドリヲ吹ク風ニコボレテ匂フヤマブキノ花
[#ここで字下げ終わり]
 天真爛漫とでも申しませうか。心に少しでも屈託があつたなら、こんな和歌などはとても作れるものではございませぬ。

[#ここから5字下げ]
承元三年己巳。五月大。十二日、甲辰、和田左衛門尉義盛、上総の国司に挙任せらる可きの由、内々之を望み申す、将軍家、尼御台所の御方に申合せらるるの処、故将軍の御時、侍の受領に於ては、停止す可きの由、其沙汰訖んぬ、仍つて此の如き類、聴されざる例を始めらるるの条、女性の口入に足らざるの旨、御返事有るの間、左右する能はずと云々。
同年。十一月大。四日、甲午、小御所東面の小庭に於て、和田新左衛門尉常盛以下の壮士等切的を射る、是弓馬の事は、思食し棄てらる可からざるの由、相州諫め申すに依りて、興行せらるる所なり、故に勝負有る可しと云々。五日、乙未、相模国大庭御厨の内に、大日堂有り、本尊殊に霊仏なり、故将軍の御帰依等閑ならず、而るに近年破壊の由聞食し及ばるるに就いて、雑色を召し、修造を加ふ可きの旨、今日相州に仰せらると云々。七日、丁酉、去る四日の弓の勝負の事、負方の衆所課物を献ず、仍つて営中御酒宴乱舞に及び、公私逸興を催す、以其次、武芸を事と為し、朝廷を警衛せしめ給はば、関東長久の基たる可きの由、相州、大官令等諷詞を尽さると云々。十四日、甲辰、相州年来の郎従の中、有功の者を以て、侍に准ず可きの由、仰下さる可きの由、之を望み申さる、内々其沙汰有りて、御許容無し、其事を聴さるるに於ては、然る如きの輩、子孫に及ぶの時、定めて以往の由緒を忘れ、誤りて幕府に参昇を企てんか、後難を招く可きの因縁なり、永く御免有る可からざるの趣、厳密に仰出さると云々。
同年、同月。廿七日、丁巳、和田左衛門尉義盛、上総の国司所望の事、内々御計の事有り、暫く左右を待ち奉る可きの由仰を蒙り、殊に抃悦すと云々。
[#ここで字下げ終わり]
 下々の口さがない人たちは、やれ尼御台が専横の、執権相模守義時が陰険のと騒ぎ立ててゐた事もあつたやうでございますが、私たちの見たところでは、尼御台さまも相州さまも、それこそ竹を割つたやうなさつぱりした御気性のお方でした。づけづけ思ふとほりの事をおつしやつて、裏も表も何もなく、さうして後はからりとして、目下のものを叱りながらもめんだうを見て下さつてさうして恩に着せ
前へ 次へ
全60ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
太宰 治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング