信じさせたい君は、おれの言葉を卑俗とか生野暮とかといやしめるにちがひない。そんならおれは、もつとはつきり言つてもよい。おれは、おれの作品がおれのためになるときだけ仕事をするのである。君がまさしく聰明ならば、おれのこんな態度をこそ鼻で笑へる筈だ。笑へないならば、今後、かしこさうに口まげる癖をよし給へ。
 おれは、いま、君をはづかしめる意圖からこの小説を書かう。この小説の題材は、おれの恥さらしとなるかも知れぬ。けれども、決して君に憐憫の情を求めまい。君より高い立場に據つて、人間のいつはりない苦惱といふものを君の横面にたたきつけてやらうと思ふのである。
 おれの妻は、おれとおなじくらゐの嘘つきであつた。ことしの秋のはじめ、おれは一篇の小説をしあげた。それは、おれの家庭の仕合せを神に誇つた短篇である。おれは妻にもそれを讀ませた。妻は、それをひくく音讀してしまつてから、いいわ、と言つた。さうして、おれにだらしない動作をしかけた。おれは、どれほどのろまでも、かういふ妻のそぶりの蔭に、ただならぬ氣がまへを見てとらざるを得なかつたのである。おれは、妻のそんな不安がどこからやつて來たのか、それを考へて三
前へ 次へ
全29ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
太宰 治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング