三つのテエブルも、みんな白くほこりをかぶっていた。かれは躊躇《ちゅうちょ》せず、入口にちかい隅の椅子に腰をおろした。いつも隅は、男爵に居心地がよかった。そこで、ずいぶん待たされた。客はひとりもはいって来なかった。はじめのうちは、或いは役者などがはいって来ないとも限らぬ、とずいぶん緊張していたのであるが、あまりの閑散に男爵も呆れ、やがて緊張の疲れが出て来て、ぐったりなってしまった。牛乳を三杯のんで、約束の午後二時はとっくに過ぎ、四時ちかくなって、その飲食店の硝子戸が夕日に薄赤く染まりかけて来たころ、がらがらがらとあの恐ろしい大音響がして、一個の男が、弾丸のように飛んで来た。
「や。しっけい、しっけい。煙草あるかい?」
 男爵は、にこにこ笑って立ちあがり、ポケットから煙草を二つ差し出し、
「僕も、やっと今しがた来たばかりで、どうも、おそくなって。」と変なあやまりかたをした。
「ま、いいさ。」相手の男は、気軽にゆるした。「僕もね、きょうから生田組の撮影がはじまっているので、てんてこ舞いさ。」言いながら落ちつきなく手を振り足踏みして、てんてこ舞いをしてみせた。
 男爵は、まじめになり、その男の
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