と僕とを取り巻いた。彼を取り巻いた一群は、植込の間を庭の入口の方へなだれて行く。
四五人の群が僕を宥《なだ》めて縁から上がらせた。左の手の甲が血みどれになっているので、水で洗えと云う人がある。酒で洗えと云う人がある。近所の医者の処へ石炭酸水を貰いに遣れと云う人がある。手を包めと云って紙を出す。手拭を出す。(中略)
鴎外の描写は、あざやかである。騒動が、眼に見えるようだ。そうしてそれから鴎外は、「皆が勧めるから嫌な酒を五六杯飲んだ。」と書いてある。顔をしかめて、ぐいぐい飲んだのであろう。やけ酒に似ている。この作品発表の年月は、明治四十二年五月となっている。私たちの生れない頃である。鴎外の年譜を調べてみると、鴎外はこの時、四十八歳である。すでにその二年前の明治四十年、十一月十五日に陸軍々医総監に任ぜられ、陸軍省医務局長に補せられている。その前年の明治三十九年に、功三級に叙せられ、金鵄勲章《きんしくんしょう》を授けられ、また勲二等に叙せられ、旭日重光章を授けられているのである。自重しなければならぬ人であったのに、不良少年じみた新聞記者と、
「何故今遣らないのだ。」
「うむ。遣る。」
な
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