き他を妬《ねた》まず。
七、何の道にも別を悲まず。
八、自他ともに恨《うら》みかこつ心なし。
九、恋慕の思なし。
十、物事に数奇好みなし。
十一、居宅に望なし。
十二、身一つに美食を好まず。
十三、旧き道具を所持せず。
十四、我身にとり物を忌むことなし。
十五、兵具は格別、余の道具たしなまず。
十六、道にあたって死を厭わず。
十七、老後財宝所領に心なし。
十八、神仏を尊み神仏を頼まず。
十九、心常に兵法の道を離れず。
男子の模範とはまさにかくの如き心境の人を言うのであろう。それに較べて私はどうだろう。お話にも何もならぬ。われながら呆《あき》れて、再び日頃の汚濁の心境に落ち込まぬよう、自戒の厳粛の意図を以《もっ》て左に私の十九箇条を列記しよう。愚者の懺悔《ざんげ》だ。神も、賢者も、おゆるし下さい。
[#ここから改行天付き、折り返して3字下げ]
一、世々の道は知らぬ。教えられても、へんにてれて、実行せぬ。
二、万ずに依怙の心あり。生意気な若い詩人たちを毛嫌いする事はなはだし。内気な、勉強家の二、三の学生に対してだけは、にこにこする。
三、身の安楽ばかりを考える。一家中に於いて、子供よりも早く寝て、そうして誰よりもおそく起きる事がある。女房が病気をすると怒る。早くなおらないと承知しないぞ、と脅迫めいた事を口走る。女房に寝込まれると亭主の雑事が多くなる故なり。思索にふけると称して、毛布にくるまって横たわり、いびきをかいている事あり。
四、慾の深き事、常軌《じょうき》を逸したるところあり。玩具《おもちゃ》屋の前に立ちて、あれもいや、これもいや、それでは何がいいのだと問われて、空のお月様を指差す子供と相通うところあり。大慾は無慾にさも似たり。
五、我、ことごとに後悔す。天魔に魅いられたる者の如し。きっと後悔すると知りながら、ふらりと踏込んで、さらに大いに後悔する。後悔の味も、やめられぬものと見えたり。
六、妬《ねた》むにはあらねど、いかなるわけか、成功者の悪口を言う傾向あり。
七、「サヨナラだけが人生だ」という先輩の詩句を口ずさみて酔泣きせし事あり。
八、他をも恨めども、自らを恨むこと我より甚しきはあるまじ。
九、起きてみつ寝てみつ胸中に恋慕の情絶える事無し。されども、すべて淡き空想に終るなり。およそ婦女子にもてざる事、わが右に出ずる者はあるまじ。顔面の大きすぎる故か。げせぬ事なり。やむなく我は堅人《かたじん》を装わんとす。
十、数奇好み無からんと欲するも得ざるなり。美酒を好む。濁酒も辞せず。
十一、わが居宅は六畳、四畳半、三畳の三部屋なり。いま一部屋欲しと思わぬわけにもあらず。子供の騒ぎ廻る部屋にて仕事をするはいたく難儀にして、引越そうか、とふっと思う事あれども、わが前途の収入も心細ければ、また、無類のおっくうがりの男なれば、すべて沙汰やみとなるなり。一部屋欲しと思う心はたしかにあり。居宅に望なき人の心境とはおのずから万里の距離あり。
十二、あながち美食を好むにはあらねど、きょうのおかずは? と一個の男子が、台所に向って問を発せし事あるを告白す。下品の極なり。慚愧《ざんき》に堪えず。
十三、わが家に旧き道具の一つも無きは、われに売却の悪癖あるが故なり。蔵書の売却の如きは最も頻繁《ひんぱん》なり。少しでも佳《よ》き値に売りたく、そのねばる事、われながら浅まし。物慾皆無にして、諸道具への愛着の念を断ち切り涼しく過し居れる人と、形はやや相似たれども、その心境の深浅の差は、まさに千尋なり。
十四、わが身にとりて忌むもの多し。犬、蛇、毛虫、このごろのまた蠅《はえ》のうるさき事よ。ほら吹き、最もきらい也。
十五、わが家に書画|骨董《こっとう》の類の絶無なるは、主人の吝嗇《りんしょく》の故なり。お皿一枚に五十円、百円、否、万金をさえ投ずる人の気持は、ついに主人の不可解とするところの如し、某日、この主人は一友を訪れたり。友は中庭の美事なる薔薇《ばら》数輪を手折りて、手土産に与えんとするを、この主人の固辞して曰《いわ》く、野菜ならばもらってもよい。以て全豹を推すべし。かの剣聖が武具の他の一切の道具をしりぞけし一すじの精進の心と似て非なること明白なり。なおまた、この男には当分武具は禁物なり。気違いに刃物の譬《たと》えもあるなり。何をするかわかったものに非ず。弱き犬はよく人を噛むものなり。
十六、死は敢《あ》えて厭うところのものに非ず。生き残った妻子は、ふびんなれども致し方なし。然れども今は、戦死の他の死はゆるされぬ。故に怺《こら》えて生きて居るなり。この命、今はなんとかしてお国の役に立ちたし。この一箇条、敢えて剣聖にゆずらじと思うものの、また考えてみると、死にたくない命をも捨てなければならぬところに尊さがあるので、なんでもかん
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