く、再び、綿密な調査を開始したのである。
 父、母、妹、有原、共に再び呼び出されて、こんどは警察に留置せられた。取調べの進行と共に、松やも召喚せられた。風間七郎は、その大勢の子分と一緒に検挙せられた。杉浦透馬も、T大学の正門前で逮捕せられた。仙之助氏の陳述も乱れはじめた。事件は、意外にも複雑におそろしくなって来たのである。けれども、この不愉快な事件の顛末《てんまつ》を語るのが、作者の本意ではなかったのである。作者はただ、次のような一少女の不思議な言葉を、読者にお伝えしたかったのである。
 節子は、誰よりも先きに、まず釈放せられた。検事は、おわかれに際して、しんみりした口調で言った。
「それではお大事に。悪い兄さんでも、あんな死にかたをしたとなると、やっぱり肉親の情だ、君も悲しいだろうが、元気を出して。」
 少女は眼を挙げて答えた。その言葉は、エホバをさえ沈思させたにちがいない。もちろん世界の文学にも、未だかつて出現したことがなかった程の新しい言葉であった。
「いいえ、」少女は眼を挙げて答えた。「兄さんが死んだので、私たちは幸福になりました。」



底本:「太宰治全集5」ちくま文庫、筑
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