目《きまじめ》な口調であった。
 パチャとオールの音がして、舟は小島の陰からあらわれた。舟には父がひとり、するする水面を滑って、コトンと岸に突き当った。
「兄さんは?」
「橋のところで上陸しちゃった。ひどく酔っているらしいね。」父は静かに言って、岸に上った。「帰ろう。」
 節子はうなずいた。
 翌朝、勝治の死体は、橋の杙《くい》の間から発見せられた。
 勝治の父、母、妹、みんな一応取り調べを受けた。有原も証人として召喚せられた。勝治の泥酔の果《はて》の墜落か、または自殺か、いずれにしても、事件は簡単に片づくように見えた。けれども、決着の土壇場に、保険会社から横槍が出た。事件の再調査を申請して来たのである。その二年前に、勝治は生命保険に加入していた。受取人は仙之助氏になっていて、額は二万円を越えていた。この事実は、仙之助氏の立場を甚《はなは》だ不利にした。検事局は再調査を開始した。世人はひとしく仙之助氏の無辜《むこ》を信じていたし、当局でも、まさか、鶴見仙之助氏ほどの名士が、愚かな無法の罪を犯したとは思っていなかったようであるが、ひとり保険会社の態度が頗《すこぶ》る強硬だったので、とにか
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