という姿で、月夜ってのは、つまらねえものだ、夜明けだか、夕方だか、真夜中だか、わかりやしねえ、などと呟《つぶや》き、昔コイシイ銀座ノ柳イ、と呶鳴《どな》るようにして歌った。有原と節子は、黙ってついて歩いて行く。有原も、その夜は、勝治をれいのように揶揄《やゆ》する事もせず、妙に考え込んで歩いていた。
 老杉の陰から白い浴衣を着た小さい人が、ひょいとあらわれた。
「あ、お父さん!」節子は、戦慄《せんりつ》した。
「へええ。」勝治も唸《うな》った。
「散歩だ。」父は少し笑いながら言った。それから、ちょっと有原のほうへ会釈《えしゃく》をして、「むかしは僕たちも、よくこの辺に遊びに来たものです。久しぶりで散歩に来てみたが、昔とそんなに変ってもいないようだね。」
 けれども、気まずいものだった。それっきり言葉もなく、四人は、あてもなくそろそろと歩きはじめた。沼のほとりに来た。数日前の雨のために、沼の水量は増していた。水面はコールタールみたいに黒く光って、波一つ立たずひっそりと静まりかえっている。岸にボートが一つ乗り捨てられてあった。
「乗ろう!」勝治は、わめいた。てれかくしに似ていた。「先生、乗ろ
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