まつて、この二、三日、何かと気がもめて、けふはホオルを休んで楽屋に来てゐる。

        ☆

 その夜、ああ、知つてゐるものが見たら、ぎよつとするだらう。須々木乙彦は、生きてゐる。生きて、ウヰスキイを呑んでゐる。昨年の晩秋に、須々木乙彦は、この銀座裏のバアにふらと立ち寄つた。さうして、この同じソフアに腰をおろし、十九のさちよと、雨の話をした。あのときと、同じ姿勢で、少しまへこごみの姿勢で、ソフアに深く腰をおろし、いま、高須隆哉は、八重田数枝と、ウヰスキイ呑みながら、ひそひそ話を交してゐる。ソフアの傍には、八《や》つ手《で》の鉢植、むかしのままに、ばさと葉をひろげて、乙彦が無心に爪で千切《ちぎ》りとつた痕《あと》まで、その葉に残つてゐる。室内の鈍い光線も八つ手の葉に遮ぎられて、高須の顔は、三日月の光を受けたくらゐに、幽かに輪廓が分明して、眼の下や、両頬に、真黒い陰影がわだかまり、げつそり痩せて、おそろしく老けて見えて、数枝も、話ながら、時をり、ちらと高須の顔を横目で見ては、それが全く別人だ、といふことを知つてゐながら、やはり、なんだか、いやな気がした。似てゐるのである。数枝も、乙
前へ 次へ
全78ページ中70ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
太宰 治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング