高須は顔を蒼くして、少し笑ひ、紙片を二つに裂いた。
「見せろ。あひびきの約束かね?」
「君には、これを読む資格がない。」はつきりした語調で言つて、さらに紙片を四つに裂いた。「あなたのひいきの高野幸代といふ役者は、なかなかの名優ですね。舞台だけでは足りなくて、廊下にまで芝居をひろげて居ります。」
「そんなこと言ふもんぢやないよ。」助七は当惑気に、両手を頭のうしろに組んで、「いや味《み》だぜ。さちよも、一生懸命に書いたんだらう? 逢つてやれよ。よろこぶぜ。」
 助七に、ぐんと背中を押され、青年は、よろめき、何かあたたかい人間の真情をその背中に感じ、そのままふらふら歩いて、一人で劇場の裏にまはつていつた。生れてはじめて見る楽屋。

        ☆

 高野さちよは、そのひとつきほどまへ、三木と同棲をはじめてゐた。数枝いいひと、死んでも忘れない、働かなければ、あたし、死ぬる、なんにも言へない、鴎は、あれは、唖《おし》の鳥です、とやや錯乱に似た言葉を書き残して、八重田数枝のアパアトから姿を消した。淀橋の三木の家を訪れたのは、その日の夜、八時頃である。三木は不在であつたが、小さく太つた老母がゐ
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