上品でないバアである。少しづつ離れて、たちまち加速度を以て、離れてしまつた。その職人には、いま、妻も子も在る。数枝は、平凡な女給である。人生は、こんなものだ。ひとは、たよりにならない。幼いころから、さう教へられ、さうして、そのとほりに思ひこんでゐた。二十四になつて銀座のバアをよして、踊子になつた。このはうが、いくらか余計お金がとれるからである。そのとしの十一月下旬、朝ふと眼を醒ますと、以前おなじ銀座のバアにつとめてゐた高野さちよが、しよんぼり枕もとに坐つてゐた。
「ほかに、ないもの。」さちよは、冷い両手で、寝てゐる数枝の顔をぴたとはさんだ。
数枝には、何もかもわかつた。
「ばかなことばかりして。」さう言ひながら起きあがり、小さいさちよを、ひしと抱いた。何事もなかつたやうにすぐ離れて、
「おかずは? やはり納豆かね。」
さちよも、いそいそ襟巻をはづして、
「あたし買つて来よう。数枝は、つくだ煮だつたね。海老のつくだ煮買つて来てあげる。」
出て行くさちよを見送り、数枝は、ガスの栓をひねつて、ごはんの鍋をのせ、ふたたび蒲団の中にもぐり込んだ。
さうして、その日から、さちよの寄棲生活が
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