一して、行為に移すのには、僕は、やつぱり教養が、必要だと思ふ。叡智が必要だと思ふ。山中の湖水のやうに冷く曇りない一点の叡智が必要だと思ふ。あのひとには、それがないから、いつも行為がめちやめちやだ。たとへば、君のやうな男にみこまれて、それで身動きができずに、――」
「恥づかしくないかね。」助七は、せせら笑つた。「けさから考へに考へて暗記して来たやうな、せりふを言ふなよ。学問? 教養? 恥づかしくないかね。」
 三木は、どきつとした。われにもあらず、頬がほてつた。こいつ、なんでも知つてゐる。
「不愉快な野郎だ。よし、相手になつてやる。僕は、君みたいな奴は、感覚的に憎悪する。宿命的に反撥する。しかし、最後に聞くが、君は、さちよを、どうするつもりだ。」煙草の火は消えてゐた。消えてゐるその煙草を、すぱすぱ吸つて、指はぶるぶる震へてゐた。
「どうするも、かうするも無いよ。」こんどは、助七のはうが、かへつて落ちついた。「いまに居どころをつきとめて、おれは、おれの仕方《しかた》で大事にするんだ。いいかい。あの女は、おれでなければ、だめなんだ。おれひとりだけが知つてゐる。おめえは山の宿で、たつた一晩、それだけを手がら顔に、きやあきやあ言つてゐやがる。あとは、もう、おめえなんかに鼻もひつかけないだらう。あいつは、そんな女だ。」
 三木は思はず首肯《うなづ》いた。まさに、そのとほりだつたのである。
「だが、おい。」助七は、さらに勢よく一歩踏み出し、「その一晩だつて、おめえには、ゆるさぬ。がまんできない。よくも、よくも。」
「さうか、わかつた。相手になる。僕も君には、がまんできない。よくよく思ひあがつた野郎だ。」煙草をぽんとはふつて、二重まはしを脱ぎ、さらに羽織を脱ぎ、ちよつと思案してから兵古帯をぐるぐるほどき、着物まですつぽり脱いで、シヤツと猿又だけの姿になり、
「女を肉体でしか考へることができないとは、気の毒なものさ。こちらにまで、その薄汚さの臭ひが移ら。君なんかと取組んで着物をよごしたら、洗つても洗つてもしみがとれまい。やくかいなことだ。」言ひながら、足袋を脱ぎ、高足駄を脱ぎ捨て、さいごに眼鏡をはづし、「来い!」
 ぴしやあんと雪の原、木霊して、右の頬を殴られたのは、助七であつた。間髪を入れず、ぴしやあんと、ふたたび、こんどは左。助七は、よろめいた。意外の強襲であつた。うむ、とふんば
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