を、かばつてやりたいとさへ思ふわ。男は、だつて、気取つてばかりゐて可哀さうだもの。ほんたうの女らしさといふものは、あたし、かへつて、男をかばふ強さに在ると思ふの。あたしの父は、女はやさしくあれ、とあたしに教へてゐなくなつちやつたけれど、女のやさしさといふものは、――」言ひかけて、ものに驚いた鹿のやうに、ふつと首をもたげて耳をすまし、
「誰か来るわ。あたしを隠して。ちよつとでいいの。」につと笑つて、背後の押入れの襖をあけ、坐りながらするするからだを滑り込ませ、
「さあさ、あなたは、お仕事。」
「よし給へ。それも女の擬態かね?」歴史的は、流石に聡明な笑顔であつた。「この部屋へ来る足音ぢやないよ。まあ、いいからそんな見つともない真似はよしなさい。ゆつくり話さうぢやないか。」自分でも、きちんと坐り直してさう言つた。痩せて小柄な男であつたが、鉄縁の眼鏡の底の大きい眼や、高い鼻は、典雅な陰影を顔に与へて、教養人らしい気品は、在つた。
「あなた、お金ある?」押入れのまへに、ぼんやり立つたままで、さちよは、そんなことを呟いた。「あたし、もう、いやになつた。あなたを相手に、こんなところで話をしてゐると、死ぬるくらゐに東京が恋しい。あなたが悪いのよ。あたしの愛情が、どうのかうのと、きざに、あたしをいぢくり廻すものだから、あたし、いいあんばいに忘れてゐた、あたしの不幸、あたしの汚なさ、あたしの無力、みんな一時に思ひ出しちやつた。東京は、いいわね。あたしより、もつと不幸な人が、もつと恥づかしい人が、お互ひ説教しないで、笑ひながら生きてゐるのだもの。あたし、まだ、十九よ。あきらめ切つたエゴの中で、とても、冷く生きて居れない。」
「脱走する気だね。」
「でも、あたし、お金がないの。」
 三木は、ちらと卑しく笑ひ、そのまま頭をたれて考へた。ずいぶん大袈裟な永い思案の素振りであつた。ふと顔をあげて、
「十円あげよう。」ほとんど怒つてゐるやうな口調で、「君は、ばかだ。僕は、ずいぶん、あなたを高く愛して来た。あなたは、それを知らない。僕には、あなたの、ちよつとした足音にもびくついて、こそこそ押入れに隠れるやうな、そんなあさましい恰好を、とても、だまつて見て居れない。いまのあなたにお金をあげたら、僕は、ものの見事に背徳漢かも知れない。けれども、これは僕の純粋衝動だ。僕は、それに従ふ。僕には、この結果が、
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