た。
「英雄ですか?」助七は、苦笑した。
「いいえ。愛人です。いのちの糧《かて》です。」
 その言葉が、助七を撃った。
「ああ、それはいい。」貧苦より身を起し、いままで十年間、こんな純粋の響の言葉を、聞いたことがなかった。「おれは、ことし二十八だよ。十七のとしから給仕をして、人を疑うことばかり覚えて来た。君たちは、いいなあ。」絶句した。
「ポオズですよ、僕たちは。」青年の左の眼は、不眠のために充血していた。「でも、ポオズの奥にも、いのちは在る。冷い気取りは、最高の愛情だ。僕は、須々木さんを見て、いつも、それを感じていました。」
「おれだって、いのちの糧を持っている。」
 低くそう言って、へんに親しげに青年の顔をしげしげ眺めた。
「存じて居ります。」
「一言もない。おれは、もともと賤民《せんみん》さ。たかだか一個の肉体を、肉体だけを、」言いかけてふっと口を噤《つぐ》み、それからぐっと上半身を乗り出させて、「あなたは、あの女を、どう思いますか?」
「気の毒な人だと思っています。」用意していたのではないかと思われるほど、涼しく答えた。
「それだけですか? いや、ここだけの話ですけれども、ね。
前へ 次へ
全80ページ中20ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
太宰 治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング