その山の金鉱しらべに行こう、と、もう父の手をひっぱるようにしてせきたて、また、わたくしを、こっそりものかげに呼んで、お母さん、いいか、お父さんは、もうさきが長くないのだ、おちぶれた人に、恥をかかせちゃいけない、とわたくしを、きつく叱りました。わたくしも、そう言われて、はじめて、ああそうだったと気がついて、お恥ずかしい、わが子ながら、両手合せて拝みたいほどでございました。嘘、とはっきり知りながら、汽車に乗り、馬車に乗り、雪道歩いて、わたくしたち親子三人、信濃《しなの》の奥まで、まいりました。いま、思い出しても、せつなくなります。信濃の山奥の温泉に宿をとり、それからまる一年間、あの子は、降っても照っても父のお伴して山を歩きまわり、日が暮れて宿へかえっては、父の言うこと、それは芝居と思えないほど、熱心に聞いて、ふたりで何かと研究し、相談し、あしたは大丈夫だ、あしたは大丈夫だと、お互い元気をつけ合って、そうして寝て、また朝早く、山へ出かけて、ほうぼう父に引っぱりまわされ、さんざ出鱈目《でたらめ》の説明聞かされて、それでも、いちいち深くうなずいて、へとへとになって帰って来ました。何もかも、朝太郎のおかげです。父は、山宿で一年、張り合いのある日をつづけることができて、女房、子供にも、立派に体面保って、恥を見せずに安楽な死に方を致しました。ええ、信濃の、その山宿で死にました。わしの山は見込みがある、どうだい、身代二十倍になるのだぞ、と威張って、死んでゆきました。まえから、心臓が、ひどく悪かったのです。木枯《こがら》しのおそろしく強い朝でしてな。あわれな話ですね。けれども、あの子は、見どころあります。それから母子ふたりで、東京へ出て、苦労しました。わたくしは、どんぶり持って豆腐《とうふ》いっちょう買いに行くのが、一ばんつらかった。いまでは、どうやら、朝太郎も、皆様のおかげで、もの書いてお金いただけるようになって、わたくしは、朝太郎が、もう、どんな、ばかをしても、信じている。むかし、あれの父をあんなに大事にかばって呉れたこと思えば、あの子が、ありがたくて、もったいなくて、あの子のことだったら、どんなことがあっても、たとえあれが、人殺ししたって、わたくしは、あれを信じている。あれは、情の深い子です。ほんとに、よろしくお願いします。
そう言って、軽くお辞儀をし、さちよも思わずそっとお辞儀をかえして、ゆくりなく顔を見合せ、ほ、ほと同時にはなやかに笑って、それから二人、気持よく泣いた。
十時に三木が、酔ってかえった。久留米絣《くるめがすり》に、白っぽいごわごわした袴《はかま》をはいて、明治維新の書生の感じであった。のっそり茶の間へはいって来て、ものも言わず、長火鉢の奥に坐っている老母を蹴飛ばすようにして追いたて、自分がその跡にどっかと坐って、袴の紐《ひも》をほどきながら、
「何しに来たんだい?」坐ったままで袴を脱いでそれを老母にほうってやって、「ああ、お母さん。あなたは、ちょっと二階へ行ってろ。僕は、この子に話があるんだ。」
二人きりになると、さちよは、
「自惚《うぬぼ》れちゃ、だめよ。あたし、仕事の相談に来たの。」
「かえれ。」家に在るときの歴史的さんは、どこか憂鬱で、けわしかった。
「御気嫌、わるいのね。」さちよは、平気だった。「あたし、数枝のアパアトから逃げて来たの。」
「おや、おや。」三木は冷淡だった。がぶがぶ番茶を呑んでいる。
「あたし、働く。」そう言って、自分にも意外な、涙があふれて落ちて、そのまま、めそめそ泣いてしまった。
「もう、僕は、君をあきらめているんだ。」三木は、しんからいまいましそうに顔をしかめて、「君には、手のつけられない横着《おうちゃく》なところがある。君は、君自身の苦悩に少し自惚れ持ち過ぎていやしないか? どうも、僕は、君を買いかぶりすぎていたようだ。君の苦しみなんざ、掌《てのひら》に針たてたくらいのもので、苦しいには、ちがいない、飛びあがるほど苦しいさ、けれども、それでわあわあ騒ぎまわったら、人は笑うね。はじめのうちこそ愛嬌《あいきょう》にもなるが、そのうちに、人は、てんで相手にしない。そんなものに、かまっている余裕なんて、かなしいことには、いまの世の中の人たち、誰にもないのだ。僕は知っているよ。君の思っていることくらい、見透《みとお》せないでたまるか。あたしは、虫けらだ。精一ぱいだ。命をあげる。ああ、信じてもらえないのかなあ。そうだろう? いずれ、そんなところだ。だけど、いいかい、真実というものは、心で思っているだけでは、どんなに深く思っていたって、どんなに固い覚悟を持っていたって、ただ、それだけでは、虚偽だ。いんちきだ。胸を割ってみせたいくらい、まっとうな愛情持っていたって、ただ、それだけで、だまっていたんじゃ
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