、それは傲慢《ごうまん》だ、いい気なもんだ、ひとりよがりだ。真実は、行為だ。愛情も、行為だ。表現のない真実なんて、ありゃしない。愛情は胸のうち、言葉以前、というのは、あれも結局、修辞じゃないか。だまっていたんじゃ、わからない、そう突放《つっぱな》されても、それは、仕方のないことなんだ。真理は感ずるものじゃない。真理は、表現するものだ。時間をかけて、努力して、創りあげるものだ。愛情だって同じことだ。自身のしらじらしさや虚無を堪えて、やさしい挨拶送るところに、あやまりない愛情が在る。愛は、最高の奉仕だ。みじんも、自分の満足を思っては、いけない。」また、番茶を、がぶがぶ呑んで、「君は一たい、いままで何をして来た。それを考えてみるがいい。言えないだろう。言えない筈だ。何もしやしない。僕は、君を、もう少し信頼していた。あの山宿を逃げるときだって、僕は、気まぐれから君に手伝いしたのじゃないのだぜ。君に、たしかな目的があって、制止できない渇望があって、そうして、ちゃんと聡明な、具体的な計画があっての、出京だとばかり思っていた。それが、どうだ、八重田数枝のとこに、ころがりこんで、そのまんま、何もしやしない。八重田数枝は、あんな、気のいいやつだから、だまって、のんきそうに君を世話していたようだったが、でも、ずいぶん迷惑だったろうと思うよ。君が精一ぱいなら、八重田数枝だって、自分ひとりを生かすのだけで、それだけで精一ぱい、やっとのところで生きているのだ。少しは、人の弱さを、大事にしろよ。君の思いあがりは、おそろしい。僕だって、君に、いくど恥をかかされているかわからない。あんな、薄汚い新聞記者と、喧嘩させて、だまって面白がって見ていやがって、僕は、あんなやつとは、口きくのさえいやなんだぜ。僕は、プライドの高い男だ。どんな偉い先輩にでも、呼び捨にされると、いやな気がする。僕は、ちゃんと、それだけの仕事をしている。あんな奴と、決闘して、あとで、僕は、どんなに恥ずかしく、くるしい思いしたか、君は知るまい。生れてはじめて、あんなぶざまな真似をした。君は、一たい僕をなんだと思っているのだ。八重田数枝のところに居辛《いづら》くなって、そうして、こんどは僕の家へ飛び込んで来て、自惚れちゃだめよ、仕事の相談に来たの、なんて、いつもの僕なら、君はいまごろ横っつらの二つや三つぶん殴られている。」三木は流石《さすが》に、蒼くなっていた。
 さちよは、ぼんやり顔をあげて、
「殴らないの?」
「寝て起きて来たようなこと言うなよ。」苦笑して、煙草のけむりを、ゆっくり吐いた。「かえり給え。僕は、言いたいだけのことは、言ったんだ。あとは、もっぱら敬遠主義だ。君も少しは考えるがいい。かえれ。路頭に迷ったって、僕の知ったことじゃない。」
 もじもじして、
「路頭は、寒くて、いや。」
 三木は、あやうく噴き出しそうになり、
「笑わせようたって、だめさ。」言いながら、はっきり負けたのを意識した。
「さちよ、ここにいるか。」
「いる。」
「女優になるか。」
「なる。」
「勉強するか。」
「する。」
 三木の腕の中で、さちよは、小声で答えていた。
「ばかなやつ。」三木は、さちよのからだから離れて、「おふくろと、どんな話をしていた?」いつもの、やさしい歴史的さんに、かえっていた。
「あたし、お母さん好きよ。」さちよは、髪を掻《か》きあげて、「これから、うんと孝行するの。」
 そうして、三木との同棲がはじまった。三木は劇壇に、奇妙な勢力を持っていた。背後に、元老の鶴屋北水の頑強な支持もあって、その特異な作風が、劇壇の人たちに敬遠にちかいほどの畏怖《いふ》の情を以て見られていた。さちよの職場は、すぐにきまった。鴎座である。そのころの鴎座は、素晴しかった。日本の知識人は、一様に、鴎座の努力を尊敬していた。一座の指導者は、尾沼栄蔵、由緒正しき貴族である。俳優も、一流の名優が競って参加し、外国の古典やら、また、日本の無名作家の戯曲をも、大胆に採用して、毎月一回一週間ずつの公演を行い、日本の文化を、たしかに高めた。元老、鶴屋北水の推薦と、三木朝太郎の奔走のおかげで、さちよは、いきなり大役をふられた。すなわち、三人姉妹の長女、オリガである。いいかい、オリガは、センチメントおさえて、おさえて、おさえ切れなくなる迄おさえて、幕切れで、どっとせきあげる、それだけ心掛けて居ればいいのだ、あとは尾沼君の言うこと信仰し給え、あれは偉い男だ。それから、ほかの役者の邪魔をしないように、ね。三木は、それだけ言って、あとは、何も教えなかった。三木には、また、三木の仕事があるのである。二階の六畳に閉じこもって、原稿用紙、少し書きかけては、くしゃくしゃに丸めて壁に投げつけ、寝ころんで煙草吸ったり、また起き上って、こつこつ書いたり、
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